ゆびきりげんまん
 体育館裏に着いた。

 肩で息をする。

 葵君に声をかけたかったけれど、息が切れて声がすぐには出なかった。

 葵君はいた。

 凛として前を見つめていた。その横顔は静かで美しかった。


「あ、葵君!!」


 私は呼吸が整わないまま必死に声をあげた。

 葵君が振り返る。


「沙羅さん……!」


 凛としていた葵君の顔が、一瞬で安堵したような、今にも泣きそうな笑顔になった。


「ごめんね! 待たせて!」

「いえ、いいんです」


 葵君は一度深く息を吐いて、微笑んだ。


「よかった、来てくれて。もう、来ないんじゃないかって……」

「本当にごめんね。それで、どうしたの?」

「沙羅さん。僕、ショートプログラム、まだまだ完成とは言えないかもしれないけれど、でも、なんとか滑れるようになったんです」

「そうなんだ! よかったね!」


 私もついこの間、『スケルツォ』二番の合格をもらったばかりだったので、なんだか一緒に完成させれたような気がして、嬉しくなった。
 
 葵君は「はい」と目を細めて微笑んだ。その後、急に真面目な顔になった。


「それで、沙羅さんに見てもらいたくて」

「え?」


 葵君は決意に満ちた目で私を見つめている。


「沙羅さんに僕の演技を見て欲しいんです。今日、学校が終わった後、リンクに来てくれませんか?」


 真剣な葵君の願い。

 葵君のスケートを見るということは、無力で平凡な自分と向き合うということ。

 葵君と私の絶対的な違いを受けとめるということ。

 それはとても勇気がいる。けれど。

 私も逃げてばかりではいけない。

 何よりも葵君の願いなのだ。断るなんて言う選択肢は、ない。


「うん。わかった。行く。必ず行くよ!」


 私の返事を聞いて、葵君が安心したようにふわりと微笑んだ。


「よかった……! ありがとう、沙羅さん! 待っています」


 そのとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「あ! チャイム! 葵君、教室に戻らないと!」

「沙羅さんは戻ってください」

「え、葵君は?」

「ちょっと緊張してたみたいで……」


 葵君はそう言って、その場にへたり込むように座った。


「このままここにしばらくいようかと」


 テヘっと舌を出す葵君。

 その様子がとても可愛くて、葵君は高校生なのに頭をなでたくなってしまう。

 本当に罪作りな葵君。


「も、もう! サボるなんて。葵君たら!」


 正直、私も一緒にいたいと思ったけれど、きっとともちゃんが心配している。


「私は教室に戻るね。……リンク、必ず行くから」

「はい!」


 葵君の笑顔を見て、私はもう一度、今度は教室に向かって走り出した。
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