造花街・吉原の陰謀

12:春の夜桜

 満開になった桜が、ひらひらと散っている夜。桜の下では清澄主催の宴会が行われている。

「明依、これ美味しいよ」

 日奈はそういって、箸で摘まんだ何かを明依の口の中に突っ込んだ。

「ん、美味しい」
「そうでしょ?ほら、飲んで飲んで」

 先ほどからこんな調子だ。日奈は明依に何かを食べさせては酒を注ぐを繰り返していた。どうやら気持ちのいい程度に酔っている様だ。日奈が明依の持っている猪口に酒を注いだ。仕方なく猪口を口に運ぼうとすると、誰かに手を握られた。明依の握っている猪口に口をつけて酒を飲み下したのは、宵だった。

「楽しいのは分かるけど、もう少しペースを落として飲むんだ、明依。日奈も」

 そういって明依の手を離した宵は、すぐに清澄の元へ歩いて行った。「遅くなりました」と言った宵は、清澄に促されて座った。
 明依は宵が口をつけた猪口を見つめていた。心臓がドクドクとうるさいのは明らかに酒のせいなのに、この状況で勘違いしてしまいそうになる。この猪口でこのまま飲んでいいのかな。取り替えた方がいいのかな。いや、たかが間接キスだ。遊女が間接キスくらいでグダグダ悩むな。初対面の人と一言では片付かない事してるくせに、間接キスくらい何だ。こっちから猪口奪って飲んでやるくらいの度胸あるわ。と自分を鼓舞して徳利を持つ日奈に猪口を差し出した。

「随分悩んだね」

 日奈は笑ってそういった後、明依の持っている猪口に酒を注いだ。
 ここ最近、宵をほんの少しだけ意識している自覚がある。原因は二つだ。ひとつめは、日奈と吉野と宵の話をしたからだ。同性であんな話をすると決まって意識していつの間にか好きになっていましたと言う展開はもはやお決まりだ。そしてふたつめは吊り橋効果の様なものだ。死ぬかもしれない極限の状態に共に晒されて、もう会えないかもしれないと思った時に会えた。意識するなという方がおかしな話だ。

 しかし明依は、似たような感覚を知っていた。
 いや、遊女ならきっと、誰だって知っている感覚だろう。

 例えば年が近くて親近感が湧いて気が合う様な客と何度か共に過ごせば意識する。あの客はまた来るだろうかと何度も考えて、そして大切な情報だと脳が錯覚する。頭から離れなくなる。

 それは明らかに旭に向けていた淡い色の感情とは別物の、今この瞬間の虚しさを埋めたいだけの衝動的な何かだ。
 こんなしょうもない感情を、宵に向けていることに嫌悪するばかりだ。人間の脳みそは生命の神秘なんて呼ばれているが、意外とポンコツなのだ。

 自分の事ではあるが、どうせ勝手に踊らせておけばそのうち息をひそめる。そうわかっているくせに毎回毎回、どうしてこうも抗えないものなのか。

 いや、もしかして。好きとかっこいいは別。みたいな証明しようのない理論を本気で提唱しているのは自分だけなのか。
 みんな好きと決めた一人以外には何があっても揺らがないんだろうか。
 もしかして男性に慣れ過ぎて変な考えに至ってしまったんだろうか。
 好きってなんだ。意識すれば好きになるなら、一人だけ想う事は不可能ではないか。

「大丈夫。すぐ収まるから」
「何が?」

 〝すぐ収まる〟は言葉選びを間違えた感が否めない。まるで、抑えが利かない色情狂みたいな言い方じゃないか。さすがにそこまで脳内は色にまみれていない。

 勘違いしないで、と弁解したいところだったが酔っぱらっていてもはやどうでもよかった。

「いろいろと」

 結局この状況で一番意味深な言葉をつぶやいて、日奈の注いでくれた酒を飲み下した。というより、この宴会の主役は日奈と吉野だ。どうしてこちらが酒を注がれているんだ。

「ところで宵くんは、いい人はいないのかい?」

 清澄が口にしたその話題に、素直に気になるな、と思っている時点でまだ救いようがある様な気がした。

「いませんよ」

 宵は軽く答えて、酒に口をつけた。何だ、いないのかと思ったが、あの仕事の忙しさで恋人までいたら正直もう宵を人間とは思えないような気がした。

「それほどの色男だと、女の子達も放っておかないだろうと思ってねェ。そろそろ身を固めてもいい頃だろうと思ったんだが」
「正直今は、仕事が忙しくてそれどころではありませんね。予定もありません」

 宵はそういって口元に軽く笑みを浮かべた。

「私も宵兄さんに聞きたい事ある」
「おっ、いいね明依ちゃん」

 明依が挙手すると、清澄が嬉しそうに声を上げて明依に発言を促した。宵は不思議そうに明依を見ていた。気持ちよく酔っていて、今なら無敵な気がした。

「宵兄さんは、観光客の綺麗なお姉さんに声をかけられても、全く動じないで涼しい顔してる」
「してるねェ。絶対にブレないね」
「吉原には目移りするくらい綺麗な女の人ばっかりだと思う」
「確かにそうだ」

 清澄は目を閉じたまま深く頷き、明依の言葉を肯定している。 

「それなのになんでそんなに堂々としてて、気持ちがブレないのか気になる」

 宵のその意識を真似することが出来たら、絶対に気持ちが楽になると思ったからだ。少し下世話な話かと思ったが、みんな酔っていて楽しい笑い声に包まれた。

「確かに宵さんが女性から言い寄られて、押し切られた所なんて見た事がないわね」
「宵兄さんが綺麗な人に声をかけられるのは、もう満月屋の名物だよね」

 吉野と日奈がそういってくすくすと笑っている。

 ほら。こんなに綺麗な人ばかりなのに、男心が一切動かないなんてある訳がない。こっちは女心すら動きそうになっているのに。そんなのもう男じゃない。神様から何もかも無理矢理詰め込まれて生まれてきた様な容姿してるんだから、全員まとめて相手してやるくらいの気合で行けよ。と思ったあたりで、相当酔いが回っている事に気が付いた。

「明依ちゃんは男ってのをよくわかってるねェ。で、宵くん。君ン所の女の子は、そういう疑問を持っている様だけど」

 自分の疑問を答えてほしいと思っただけだが、もしかすると自分は男性の様な思考回路をしているのかと少し不安に思った。清澄は感心した様にそういって、宵の方を向いた。宵は酒を一口飲んだ後、それを置いてしっかりと明依の目を見て優しく笑った。

「それはね、多分だけど。この人しかしないと、心に決めた人がいるからだ。いつか一緒になりたいと思ってる」

 そのはっきりとした宵の言い方と優しい顔に、女性陣は誰もが口元に手を当てて顔を赤くしている。本当に心臓が射抜かれる、という形容は嘘ではないのだと思った。真正面から直撃した衝動で、明依は一時放心状態だ。こんな完璧人間に愛される人というのは、一体どんな人なんだろう。その女性が羨ましいと思うのは、宵の事を意識しているからではない。きっとここにいる全員が、全く同じことを思っているだろうから。

「嘘だよ。そんな人いない。明依が可愛い質問をするから、少し揶揄っただけだよ」

 宵はまさかのカミングアウトをした後、何食わぬ顔で酒を口に含んだ。この世の中には、〝可愛い〟というワードをこれ程スマートに会話に滑り込ませる人間がいるのか。

「明依ちゃんの負けだな」
「なんか、もう、いいです」

 そこからは言うまでもなく戦意喪失で、おとなしく酒を飲んでいた。その後は日奈と普段の雪の可愛い話とか、過去の面白かった話など話題は尽きなかった。





 目を覚ますと自室で眠っていた。外は静かだが、まだ夜だ。じっと布団に入っておけばいいのに、ちょっと歩くかと考えたのは酔っているからに違いない。
 一階まで階段を降りると、宵の部屋に明かりがついていた。部屋の中から叢雲が出てきて、明依はとっさに身を隠した。なんで隠れたのかは分からない。二人とも難しい顔をしていて、向き合った後一瞬無言になった。

「旭の死の真相については、分かり次第連絡する。それまでの警備強化の件についても、追って連絡しよう」
「わかりました。こんな遅い時間にわざわざありがとうございます」

 宵がそう言うと、叢雲は去っていった。旭を殺した犯人は、やはりまだ捕まっていないらしい。警備を強化するという事は、まだ犯人の目星もついていないのだろうか。終夜が犯人だと決めつけている様子でもないのか。

 どちらにしろ、酔っているくせに散歩しようと思った自分の頭を撫でてやりたい。現状が分かっただけ幸運だ。犯人が早く捕まればいいのに。

 今でも旭がもうこの世にいないなんて信じられない。いつかひょっこり顔を出して、驚いたか、なんて腹の立つしたり顔を浮かべてやってきそうなものだ。その時きっと、旭の頭を思いきり叩くだろう。旭はきっと、騙された明依が悪い、というのだ。もし本当にそうなら、どれだけ幸せだっただろう。

「盗み聞きなんて感心しないな、明依」
「ひっ、」

 急に声を掛けられた明依は声を上げたが、宵は明依の口を手のひらで塞いで逆の手で自分の唇に人差し指を寄せた。

「もう皆眠ってる。静かに」

 明依が数回うなずくと、宵は手を離した。

「随分酔ってたのによく起きたね」
「目が覚めちゃって」
「早く眠ったほうがいいよ。歩ける?」
「大丈夫。おやすみ、宵兄さん」
「ああ、おやすみ」

 宵の返事を聞くより前に振り返った明依だったが、ふらついて後ろにあった壁に思いきり額を打ち付けた。しゃがみ込んで悶絶する明依の側に宵はしゃがみ込んだ。

「何やってるんだ。傷は?気を付けないとダメだよ」

 宵はそういって明依の頬に手を添えて顔を覗き込んだ。暗い中で見えにくいのだろう。かなり至近距離で見つめられて、心臓が煩くてしかたない。

「うん、大丈夫。綺麗な顔してるんだから」

 宵は明依の額から目に視線を移動させて、ピタリと止まった。こんな至近距離で、綺麗な顔だなんて言われて勘違いしない人間がいるなら連れてきてほしい。もう心臓の音に意識を向ける余裕すらなかった。

「ごめん、大丈夫大丈夫!」
「ふらついている人間を大丈夫とは言わない」

 明依はとっさに宵から離れたが、宵は明依の手を握って立ち上がると、腕に力を込めて立ち上がらせた。そして手を握ったまま歩き出す。いつも騒がしい妓楼が、別世界の様に静かだ。

「宵兄さんも飲んでたでしょ?」
「うん、だいぶ飲んだな。酔ってるよ」
「いつもと変わらないね」
「そう見えるならよかった。結構気を張ってるよ」

 努めていつも通りの会話を意識する。しかし、宵はすぐに黙ってしまう。宵の表情は見えない分、宵が何を考えているのか全く分からなかった。

「あのね宵兄さん。自分の仕事しながら、日奈と吉野姐さまの話も同時に進めて、絶対大変なのに平気な顔してるから、本当に凄いと思ってるし、尊敬もしてるんだけど、心配もしてるんだよ」

 意識していると思われたくなかった明依は、この前言いそびれた事をここぞとばかりに詰め込んで宵の背中に語りかけた。

「ありがとう。でも、俺は大丈夫。明依の方こそ、なんだか最近暗い顔をしている事が多い。何かあった?」

 暗い顔をしている原因なんて、変わっていく環境に自分が適応できていないだけだ。しかしそんな子どもみたいな理由を正直に説明する気にはなれなかった。

「ちょっと落ち込んでるから、悲劇のヒロインごっこしてるの。陶酔モードとも呼んでる」
「酒に酔ってるんじゃなくて?」
「酒にも酔ってるけど、自分に酔ってるって事」
「なるほど、だから悲劇のヒロインか。明依にとっては環境も大きく変わるから、不安だろう。できる限りの事は協力するから、何かあれば何でも言ってほしい。それと、」

 宵の優しさが身に染みる様な気がした。本当にこんな男性の恋人や妻になる様な人はどれだけ素敵な人なんだろう。吉原で言う大夫のような美しい人間だろうか。いやしかし、勝手なイメージだが、宵は女性の美醜に関心はなさそうだ。
 部屋の前に到着して足を止めた宵は、明依を振り返った。

「最近、俺の事を避けてるのはどうして?」

 少し寂しそうな宵の表情に、なんと返事をしていいのかわからなかった。簡潔に言えば意識しているからだ。しかし、決して宵とどうこうなりたいという訳ではなくて、衝動的な感情なのだ。そんな事よりも、もしもこんな勘違いされそうな話を別の誰かに聞かれたら、すぐに噂は広まってしまう。明依は周りに誰もいない事を確認した。

「部屋に入らない?宵兄さん」

 楼主と遊女という立場でも一応は男女同士であるという配慮からそう問いかけてはみたが、宵は少し黙った後で意外にも黙って部屋に入った。それから心もとない光の中で、二人は向き合っていた。

「なんて言えばいいのか、わからないんだけど」

 明依は言葉を続けようとするが、どんな風に口にしたらいいのかわからなかった。いつもの宵なら、きっと気遣う言葉をかけるだろう。しかし、ただじっと正面から明依を見つめていた。威圧感とは違う何かが、空気を少し重くしている。

「私今、宵兄さんを意識してる」

 宵は明らかに動揺して、視線を揺らした。しかし、一度口に出してしまえば楽なもので、明依はしっかりと宵の目を見て息を吸った。

「少し意識してるなって思ってたけど多分、すっごい意識してる。宵兄さんって男性として素敵だよね、って話をしてから宵兄さんが頭の中に住んでるのかってくらい意識してる。主郭の地下で死ぬかもしれない状況に晒されていた事が一番の原因なんだと思うんだけど」
「ちょっと待って、明依。わかったから落ち着いて。いや、それは嘘だな。本当は何もわかってない」

 宵もまさかここまでド直球に言われるとは夢にも思っていなかったのだろう。なにせ、言葉を選ばなかった明依自身が一番驚いていた。

「酒を飲んでいるせいで俺の頭が回っていないのかと思ったけど、そうじゃないな。ちょっと待ってくれ」

 独り言のように呟いた宵は、それから急に押し黙った。ちょっと待ってくれと言われたのだから黙っていればいいのに、その空気に耐えられそうになかった。

「あ、あのね。聞かれたから答えただけで、別に宵兄さんとどうなりたいとか考えているわけじゃなくて」

 宵は何も喋らない。そもそも酒が残っている状態で勢いでこんな話をし出すからこういう事になる。もう二度とこんな話を勢いでしないと誓う。誓うが、とにかく今は何か喋ってないとこの雰囲気に押しつぶされそうだ。

「多分すぐ消え失せる感じの。衝動的なの!こんなしょうもない感じで、今までをなかったことにしたくないし、これからを無駄にしたくないくらい」

 そろそろ自分でも疑問に思ったが、やたら挑発的ではないか。煽ってると思われても仕方がない。

「煽ってるのか?」
「うん、そうだよね。私もそう思ってた。でもごめん、これ以上喋るとどんどん煽る言葉出てくると思う!なんだろう!私、煽り属性なのかな!本当は!」

 とにかく必死に状況を打開しようと模索するが、明らかに自分で自分の首を絞めていた。

「煽り属性って」

 そういって宵は笑った。明依は安心していた。そうやって笑い飛ばして、後は冷静に気持ちだけ受け取っておくよ、とか適当に流してくれたらいい。後はきっと酒のせいにして、今まで通りやっていけるはずだ。

「あの、宵兄さん。この話は、」
「なかったことに。わかってるよ。長く一緒にいるから、一度くらいそういう気が芽生えてもおかしくないのかもな」

 そういった宵に明依は深く息を吐いた。

「よかった。お茶でも入れるね」

 上機嫌で立ち上がった明依の手を、宵は思いきり引いた。バランスを崩して抱き留められ、腰に手を当てられて思わず腰を反らした。そのまま宵に抱き寄せられた後は、身体が硬直して動けなかった。

「その体勢、辛いだろ。膝の上乗っていいよ。力抜いて」

 いつものどこか丁寧な宵の口調とは少し違う。怒っているのかと言われればそうではない様な、少し砕けた様な口調に思わず胸をときめかせてしまったのは仕方のない事だと思う。言われた通りに力を抜いて宵の膝の上にまたがる様に座った。

「終夜とは、何かあった?」
「何も、何にもないよ。その前に終夜、眠ったから」
「終夜が眠らなかったらどうなってたと思う?」

 そういう宵に、明依は押し黙った。宵の言う通りだ。座敷に上がるという事はつまりそういう事なのだから、覚悟くらいしていた。しかし今口を開けば、取り返しのつかない事態になるだろうことを直感していた。

「わかってるなら、夜中に男を部屋に入れて、意識してるって言えばこうなるってわかってたよね」

 宵の言う通り、想定していないはずなかった。築き上げてきた関係性を無効にしても、衝動的な虚しさを埋めてほしいなんて浅はかなことを思ってしまった。宵なら優しい言葉で止めてくれると期待していたのか、今となっては分からない。ここまで来て、怖気ずいたのでやっぱりやめましょう。というのはあまりにも身勝手だという事は分かっていた。

「明依はいつも俺を褒めてくれるけど、俺はそんな立派な人間じゃない」
「まって。私……酔って、」
「いいよ、そのままで。黙ってそのまま酔ってて」

 酔った勢いで口にしたことだったと今更なかった事にしようと思ったが、それより先に宵は明依の首筋を鼻先と唇でなぞった。思わず腰を浮かせば、宵は短く息を吐いて笑った。

「可愛い」

 いつもより少し低く、むせ返りそうなほど甘い声に気分が高揚する。こんな気持ちは知らない。

「こっちむいて」

 強引に頬を包まれて、宵と真正面から視線が絡んだ。そのまま宵はすぐに顔を寄せる。きっと今、恥ずかしいくらい情けない顔をしている。

「みっともないな」

 宵は明依の肩に額を預けてそう呟いた後、明依の肩を掴んで引き離した。そのまま宵の膝から降りた明依は、その場にへたり込んだ。

「ごめん、明依。怖かっただろ。どうやら俺も陶酔モードだ。頭を冷やすよ」
「やめちゃうの……?」

 自分でも信じられない様な言葉を、ありったけの甘さで吐いてから明依ははっとした。宵は鳩が豆鉄砲を食らったようなきょとんとした顔をした後、歯を食いしばって俯き、ゆっくり息を吐いた。

「明依。正直に言うよ。明依がそういうつもりだってわかってて俺はこの部屋に入った。いや、俺の事を避けてるって話題を振ったのも、明依の気持ちに勘付いてたからだ。だから、明依の事は言えないよ。言えないけど、そういうことを思ったまま言うと、後悔する。実際、俺が触れた時に後悔したはずだ」

 宵はそういって明依の目をしっかりと見つめた。

「一線を越えればきっと、俺達はこのままじゃいられない。酒に酔っていたくらいで、本当に自分が情けない。ごめんな、明依」
「なんか、」
「うん」
「みじめな気持ち」

 そう呟いた明依に、宵は息を漏らすように笑った。

「そんなに素直に言うのか?」
「続けてたら後悔するってわかってるけど、やめたらやめたで気持ちのやり場に困ってる」
「本当に悪い事をした。あんなに直球で意識してると言われるとは思ってなかったんだ」
「いや、それは私も想定外で。こっちこそごめんね」

 明依がそういえば、宵は噴出して笑った。そして明依の頭を撫でた。

「本当に、かわいいな」

 子どもの様に無邪気な顔をして笑う宵に、胸が高鳴った。こんな宵は見たことがなかった。酔っているというのは本当なのだろう。大人な宵ばかり見てきた明依からしたら、新鮮で仕方なかった。

「明依のいう衝動的な気持ちの意味、俺にもわかるよ。だからもしもこれから先、互いに想う気持ちが重なることがあれば、その時一緒に考えよう」

 余りに綺麗な断り方に、明依は息を漏らした。放心状態から数秒後、明依が頷いた事を確認すれば、宵は「さて」と声を上げて立ち上がった。

「俺は戻るよ。ゆっくり休むんだよ」

 そういって襖を開ける宵を見送ろうと、明依も立ち上がった。宵は廊下に出た後立ち止まって振り返った。

「俺は楼主として明依を守らないといけない。危険なことはするなと叱らないといけない。だけど今回だけ、一つだけ言いたいことがある」
「なに、改まって」
「あの日、明依が主郭の地下に来た日の事だ。怖くて、不安で堪らなかっただろう。それでも俺を助けようとしてくれた。まだ生きていたいと思ったんだ。俺は明依に救われた。だから、ありがとう」

 そういって宵は頭を下げた。明依があたふたとしている間に顔を上げた宵は、凄く優しい顔をしていたが、すぐに眉を寄せて厳しい顔を作った。

「でも、あんな無茶をするのはもうやめてくれ」
「今の話、本当なの?」

 明依と宵は声のする方へと視線を向けた。そこには顔を青くした日奈が立っていた。
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