造花街・吉原の陰謀

17:一矢報いる方法

 明依の頭の中には先ほど終夜の言った旭に関する新しい情報の事が過ったが、終夜がそれだけしか言わないという事は、今それ以上は何も言うつもりはないと察していた。
 その間終夜は、握っている明依の手と一緒に自分の手を下げた。

「晴朗さんって、何者なの?」
「用心棒ってヤツだよ。強かったから、切り捨てられる範囲の仕事をしているだけ。〝なんで自分がいなかった頃の吉原の事を詳しく知ってるのか〟って質問の答えは、この街の闇は深いって事」

 どうやら終夜は、この話題にこれ以上触れるつもりはないらしい。なんだか終夜の言動一つ一つでこの男の性格がだいたいわかっている所あたりが、本当に気に入らない。

「実態の掴めない幽霊みたいなもんだって思ってたらいいんじゃない?」
「実態の掴めない幽霊?」

 終夜の放った気になる言葉を復唱した後で明依は考えを巡らせてみたが、意味深すぎる情報から大した答えは導きだせそうになかった。

「アンタも〝下手くそ〟だね。こそこそしてないで出ておいでよ」

 そう言って明依の後ろを見る終夜の視線を辿ると、そこには十六夜が立っていた。

「勝山大夫も気が短い人だな。少し遅いからって」
「ああ見えて、本人なりに黎明とお酒を飲む事を楽しみにしていらっしゃいましたから。……黎明、行きましょう」
「……はい」

 終夜の飄々とした態度に、十六夜はいつもよりさらに冷静な態度でそういった。
 明依はちらりと終夜を見たが、相変わらずの薄ら笑いを張り付けている。終夜に聞きたい事は山ほどあるが、この状況で話を進めるわけにもいかない。約束の時間は少し過ぎたあたりだろう。勝山が時間を過ぎてまで律儀に人の到着を待つ様な人間には思えないが、どちらにしても勝山と吉野を待たせている状況に違いはないため、明依は十六夜の方を振り返った。

「自分から誘っておいて、それは都合がよすぎる話だよね」

 終夜はそう言うと、歩き出そうとした明依の手を強く引いた。背中を強く終夜にぶつけて止まると同時に視界の隅では、十六夜が焦った様子で一歩踏み出してから、動きを止めていた。

「そんなところに立っていないで、そのままこっちにおいでよ。十六夜」

 終夜が明依の首元に腕をまわしてそう言うと、十六夜は暖色が飽和する表通りから仄暗(ほのぐら)い路地に一歩踏み入れていた足を引き戻した。

「遠慮いたします」
「本当に助けてあげたいって思っているなら、だけどね」
「お戯れが過ぎるかと」
「遊んでるつもりもないんでね」

 終夜はいつの間にか短刀を手にしていて、その切先を明依の首筋に当てた。明依は反射的に首にまわっている終夜の腕を両手で掴んだ。

「あなたに黎明は殺せないと確信しております」
「どうして?」
「一度絡んだ糸というのは、そうそう解けるものではありませんから」
「意外だよ。アンタも夢見がちな遊女みたいな戯言を吐くんだね」

 終夜はそう言うと、明依の首筋に突き付けた切先を少し食い込ませた。
 怪我をするかもしれないという恐怖から、明依は強く目を閉じた。ただ何となく、終夜は本気じゃないという確信があることも事実だった。本気で誰かに敵意を見せる終夜を見てきた。時には明依に、それから宵に。今の終夜の出す雰囲気とは全く違う。 
 十六夜をこの路地に連れ込む事が目的なのだろうか。時間を奪う事が目的なんだろうか。もしそうなら、一体どうして。
 いつもいつもいいように利用されてばかりだ。そのくせ、何一つ本当に知りたいことは分からない。それが悔しくて堪らない。終夜という男の本性を掴んだ先には何もない事を知っていてもなお、日奈と旭の見た終夜に触れてみたいという思いが消えない。
 自棄(やけ)を起こした訳ではなかった。ただ、やられてばかりは性に合わない。一杯食わせてやりたくなっただけだ。

 明依は短刀を持っている終夜の手を掴んで少し引き離した。十六夜にばかり注意を向けていたのか、終夜の手はあっさりと明依の首筋から離れた。

「黎明!!」

 十六夜はそう叫んで数歩前に出たが、その時明依は既に、握っている終夜の手ごと短刀の切先を自分の首筋に向かって思いきり引き寄せていた。
 まさにとっさに、と言った様子で終夜は明依の首に回していた手で肩を掴みなおして移動させると同時に、短刀を握っている手に力を込めて明依の手から引き離した。
 明依が終夜の顔を見上げると、彼は目を見開いて明依を見ていた。

「思わせぶりな事しないでよ」

 ほら、やっぱり。本気じゃなかった。
 〝下手くそ〟と言われた腹いせに、遊女らしくたっぷりと皮肉を込めてそう言ってやる。
 やってやったと言わんばかりに笑みを作る明依に、終夜は舌打ちを一つした。

「本当、可愛げの欠片もないな。珍しく意見が合った。旭の言った通りだ」

 心臓は大きく一度音を立てる。
 作り笑顔もすべて消してどこか不機嫌な様子にも見える終夜は、いつもよりずっと年相応に見えた。〝旭〟という単語に反応したのだろうか。はたまたそれ以外の何か別の理由か。
 『聞いてた通りの意地っ張りだ』『アンタの性格は話に聞いてたからね』
 以前終夜が言った、誰とは言わない言葉の全ては旭と終夜が確かに繋がっていた事を示している様で、肝心の確信は何一つとしてなかった。

「もう少し怖がってくれてもよさそうなモンだけどねェ」

 終夜はもういつもの調子に戻ってそういう。明依を解放した終夜は十六夜に向かって手を払う様な仕草をした。

「俺が座敷まで連れて行くよ。だからアンタはさっさと帰って」
「傷一つつけないと信じていいのでしょうか」
「勿論」
「……勝山大夫に伝えておきます。しかし終夜さまとは言え、余り長く待たせると怖いですよ」
「大丈夫。ちゃんとわかってるよ」

 そう言うと十六夜は去り際に明依を見て、それから踵を返した。
 明依は緊張の糸が切れてその場にへたり込んだ。

「情けないな。大見得(おおみえ)切っといてさ」
「情けないのはアンタの方でしょ」

 へたり込む明依の正面にしゃがみ込んだ終夜を、明依は正面から睨みつけた。

「あの道中は見事だったよ」

 この男も人を褒める事があるのかと考えて、返す言葉を探した。ありがとうと言葉を吐くにはあまりにも、二人の間にある距離は不明確だ。
 こんなに近くにいるのに、この男の真意も行動も予想一つつかないのだから。

「私の失敗に賭けてたんでしょ。残念だったね」

 可愛げもなく挑発的に、明依はそう言った。

「そうだね。本当、残念で仕方ないよ」

 終夜は自分で気付いているのだろうか。言葉とは裏腹に口調に滲む柔らかさに。いつもの挑発的な顔とも意地悪な顔とも違う。まるで、友人との話の途中で思わず零れた微笑みと言える顔をしている事に。
 らしくない。こんな顔は吉原の厄災と呼ばれている、終夜という男らしくない。何の気なしにそんな顔をされると、また考えてしまうじゃないか。答えの出ないループから、抜け出せなくなってしまう。
 この感情を相手に意図して創らせているのなら、きっとこの男は時雨以上に女を相手にする仕事に向いている事だろう。

「それで何?今回の事で私が評価されたら、蕎麦屋の二階での事を宵兄さんに言うの?」

 そんな終夜に気付かないふりをして、あえてそっけない口調でそういえば、終夜は鼻で笑った。

「アンタの中でいったい俺はどこまで外道なの?自分で仕組んだことなんだから言わないよ」

 そういう終夜に、明依は目を細めた。

「何その顔。じゃあ、指切りでもしようか」

 呆れたというような、しぶしぶと言った態度で終夜はそういう。この男が〝指切り〟なんて言うと物騒だと思っている時点で、これから先の展開を本能で理解していたんだと思う。

「はい。じゃあ、手出して」

 気付けば終夜は、短刀片手に明依の手を自分の方へ引き寄せようとしていた。

「自分の切ればいいじゃん!!なんで私が!!」
「俺は嫌だよ。ここは遊郭吉原。指切りは遊女と客の愛の証明だろ。だから、順当にいけば指を切るのはアンタの方。動くと危ないよ」
「アンタ客じゃないじゃん!!」

 短刀を持っている終夜の腕を握りながら、明依は全身全霊で抵抗していた。
 あの有名な〝指切りげんまん〟の起源は吉原遊郭にあると言われているが、現代の感性で愛している証明に小指を渡そうなんて考えにはならない。貰った側は腐っていくであろう指をどんな感情で眺めていればいいんだ。
 明依についても、誰もが振りかえるイケメンからどれだけ金を積まれてもできる気が微塵もしなかった。それなのになんでこんなよくわからないヤツの為に二度と生えてこない指を差しださないといけないのか。

「じゃあ宵の為だったら、指切りできる?」

 急に真剣な口調でそういう終夜に明依は思わず動きを止めた。

「よく考えて。結構重要な事を聞いてるんだから」

 念を押すように終夜はそういうが、できるかどうかよりもどうして真剣な顔をしてそんなことを聞くのか気になって仕方ない。
 それに答えを間違えれば、命に比べれば小指一本くらい安いモンだとか何とか言って、この男ならあっさり切り落としかねない。

「……必要なら」
「必要って?」
「それで宵兄さんを敵視することをやめるって約束してくれる……とか」
「……そういうことじゃないんだよね」

 どうやら希望通りの答えではなかったらしい終夜は、ため息交じりにそういう。訳わからない態度しかとらないくせに、要望通りの答えが聞けると思っていたのなら傲慢極まりない話だ。

「心の準備をしておいた方がいいよ。じきに宵は死ぬんだから」
「死ぬのは自分の方かもしれないって、考えないの?」
「考えないね。俺だけ死ぬ未来なんて、想像もつかないや」

 どこまでも傲慢な男だ。よほど自分の力に自信があるらしい。なんだか心配して損した気分の明依は、呆れてため息を吐いた。
 短刀をしまった終夜が身を乗り出す。何事かと思えば、終夜は優しく明依を抱きしめた。
 不覚にも、本当に不覚にも胸が高鳴る。これはよくない。人間なんて放っておけばいくらだって勘違いする生き物なのだ。年の近い気の合う客が、また来ないかと考えて恋だと錯覚する事と同じだ。人間は反芻するだけ頭の中からその情報を取り出す時間が短くなる。ただ、それだけの事だ。だからこれ以上強く印象付けて、惑わせるのはやめてほしい。

「そんなに安い女じゃないんだけど。金払え」
「喜んで差し出します。ってここで脱いでくれてもいいくらいだと思うけどね」
「……何考えてるのか知らないけど、どんな理由があっても絶対に許さないから。私と時雨さんを人殺しの為に利用した事」
「別に、」
「許してもらおうなんて思ってないんだろうけど!!」

 その明依の言葉に鼻で笑った終夜は、少し体制を整えるとそのまま明依を立ち上がらせた。

「行くよ。勝山大夫は怒ると怖いんだから」

 振り返らずに歩き出す終夜の背中を少し距離を空けて追いながら、あの行動の意味を考えてみた。ただ手っ取り早く立ち上がらせる為だったのか。
 やはり何一つ、この男の事は分からない。
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