a piece of cake〜君に恋をするのは何より簡単なこと〜
足取りは重かった。だってあの夜に聞いた声を、今も鮮明に思い出せる。私が浮気をしていると貴弘に嘘を教え、彼を寝とった女。
本当は会いたくない……でも会わなければ負けてしまうような、複雑な気持ちだった。
漁港手前の、たくさんの船が停泊しているマリーナの近くにあの女はいた。
白のサマーニットに黒のタイトスカート、高いヒールを履いた、明らかにこの場に似つかわしくない女がそこにいた。
女は那津に気付くと、気持ち悪いほどの笑顔を向けた。
「梶原さん、お休み中にすみません」
「いえ……わざわざ会いにくるほど重要な用件なんですよね」
「ええ」
それからわざと間を置くと、女はニヤッと笑う。
「貴弘さんのことを謝ろうと思って」
言葉を失った。謝るですって? 怒りが込み上げてくる。
那津が女を睨みつけると、二人の間には不穏な空気が流れ始めた。