かぐわしい夜窓
「サシェ」

「っ」


いままでなら少しだけ開けていたはずの扉の閉め方に気を取られていたら、突然名前を呼ばれた。


心臓が音を立て、肩が大きく跳ねる。


「十年間、おつとめお疲れさまでした。約束通り、名乗りに来ました」


ぽかん、と固まったこちらを見て、楽しげに笑っている。ひどい。


「な、なまえ、」

「サシェ殿とか、サシェさまの方がよかったですか?」

「そうじゃなくてっ」


名乗りにまいりました、とか、よろしいですか、ではないことに気づいてしまって、余計に混乱する。


このひと、若干口調を崩している……!


「わたしの名前、覚えていらしたんですか」

「好きなひとの名前ですよ。忘れませんよ」


ああ、ずるい。歌まもりでしたから、と言われるかと思ったのに。


「あなたがご自分をわたしと言うのを、なんだか久しぶりに聞いたような気がします」

「だって急に呼ぶんだもの……!」


わたくしなんて言っている余裕はない。


「あの」

「はい」

「ちょっと待ってください」

「はい」

「わかってやってますよね」

「そうですね。……おいやですか?」

「いや、では、ないですけどお……!」


やっぱりわかってやってるんですね!? 確信犯なんですね!?


「わたしはまだ名前も知らなくて呼べないのに、あなたにはわたしのことを知られていて、恥ずかしいというか、ずるいなーと思うというか……」


わたしだって、歌まもりさまじゃなくて、名前を呼びたい。


「サシェ。俺は結構年離れてるし、こういうやつですけど、本当に、俺の名前が知りたいですか」


教えたら引きませんけど。
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