魅了たれ流しの聖女は、ワンコな従者と添い遂げたい。
「よろしければ、『聖女の水』を優遇してくれないかしら?」

 見知らぬ貴婦人から話しかけられたのは、王宮の廊下だった。

「聖女の水、ですか?」
「お金に糸目はつけないわ」
「ごめんなさい。聖女の水ってなんでしょうか?」
「疫病に効くという魔法の薬よ。『聖女の』というからにはあなたが関係しているのだと思ったのだけど?」
「申し訳ございません。私は存じ上げません」
「そう……」

 不可解そうな表情で彼女は去っていった。

(疫病に効く薬が開発されたのかしら?)

 それだったら、まもなく疫病も終息しそうだとほっとした。
 でも、それからしばしば、王宮でも学校でも『聖女の水』を求められるようになった。

「ごめんなさい。私は関係ないんです」

 何度目かの断り文句を言うと、今回の相手は納得してくれず、キッと睨んできた。

「嘘よ! あなたのお父様が売ってるんでしょ? 知ってるのよ。ラウーヤ男爵ってあなたのお父様でしょ?」
「お父様が?」

 その方には本当に知らないと言って帰ってもらったけど、私は事実を確かめるために、久しぶりの自宅に戻ることにした。
 
 お父様は貿易商をしているから、薬の類いを扱っていてもおかしくはない。大した領地収入のないラウーヤ家は、お父様の商売でなんとか成り立っていた。
 仕事柄、人の出入りの多い屋敷で、しかも、ある時点から、やたらと男性に絡まれることが増えた私には落ち着かない家だった。
 お母様は私を産んですぐ亡くなられてしまい、お父様は多忙で私に構う暇もなく、私は年老いた母の乳母に育てられた。さみしかった。その乳母も亡くなってしまい、私の面倒を見る人がいなくなってしまった。
 そんなとき、カイルを拾った。
 お父様はちょうどいいとカイルを私の側仕え兼護衛にしたのだ。
 カイルとはそれからずっと一緒。
 カイルのそばが私の家かもしれない。

 そんな家なので、離れていても懐かしさはない。


 屋敷に戻ると誰も出迎える者はいなかった。使用人は必要最低限にしているから、通常通りだった。
 そのままお父様の書斎を訪ねた。

「お父様、アイリです。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「おぉ、アイリか。久しいな」

 中に入ると、めずらしくご機嫌なお父様が書類に埋もれて座っていた。
 挨拶を交わし、早速気になっていたことを尋ねてみた。

「『聖女の水』についてお聞きしたくて」
「あぁ、あれか。お前のおかげでボロ儲けだ」
「やっぱりお父様が売っておられたのですね」
「バカな貴族どもが大枚をはたいてただの水を買ってくれるんだ。実にいい商売だ」

 ニヤニヤと笑うお父様に愕然とする。
 嫌な予感がして、確かめにきたのだけど、間違いであってほしいと聞き返した。

「ただの水?」
「そうさ。どうせ貴族が疫病にかかることはない。あいつらは安心材料に持っているだけだ。使われないなら、なんでもいいじゃないか」

 そう言って、お父様はせせら笑う。
 高位貴族でも薬欲しさに頭を下げるのが痛快だとまでおっしゃる。

「そんな! お父様、やめてください。なんの効用もない水を売るなんて!」

 思わず叫んだ私に、「うるさい!」という怒鳴り声とともに、なにかが飛んできた。

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