魅了たれ流しの聖女は、ワンコな従者と添い遂げたい。
 ゴンッ 
 ガッシャーン

 インク壺だった。
 私に当たりそうなのを、カイルが身を挺して守ってくれた。

「カイル! 大丈夫?」

 胸に当たった音がした。痛かっただろう。カイルは大丈夫ですと首を振った。
 すると、お父様がゆらりと立ち上がる。
 突然の激情。そうだ、お父様はこういう方だった。

「ほう、犬がまだアイリにくっついていたか」

 そう言いながら、近づいてくる。
 カイルはなにも言わず跪いた。

「私に意見しようとする生意気な主人の罰はお前が受けるといい」

 そう言うやいなや、お父様はカイルを思い切り蹴った。
 頑丈なカイルが倒れ伏すほど。

「カイル! お父様、お止めください!」

 続けて蹴ろうとしていたお父様に、悲鳴をあげて、カイルに覆いかぶさる。カイルは逆に私を自分の背中に隠そうとした。
 
「どけ、アイリ。お前は王太子に嫁ぐ大事な身の上だ」
「王太子殿下に!?」

 目を瞠ると、お父様は悪い笑みを浮かべておっしゃった。常軌を逸したような目つきにゾッとする。

「王太子に気に入られてるらしいじゃないか。それに疫病のおかげで、お前を売り込みやすくなったんだ。せいぜい金づるになるところに嫁いでくれよ」
「王太子殿下にはエブリア様がいらっしゃいます!」
「そのなんとかいう公爵令嬢とは婚約破棄するらしいぞ?」
「そんな……」

 唖然としている私を押しのけ、お父様はまたカイルを連続して蹴った。

「お止めください!」

 カイルをかばおうとすると、両手を捻りあげられた。
 その状態で話のついでというように、お父様はカイルをガンガン蹴り続ける。まるで道端の小石を蹴るかのように。

「王太子に嫁ぐなら、こんな汚い犬などいらないだろ」
「止めてください! 謝りますから! 出過ぎた真似をして、申し訳ありませんでした。お父様、お願いします! お止めください……」

(やめてやめてやめて! カイルが死んじゃう!)

 泣き叫びながら、必死でもがく。それでも、お父様の手から抜け出せず、暴力を止めることができなかった。

 ジタバタしているうちに、お父様は疲れたのか、ふいに私の手を放り出すように離し、デスクの前に戻っていった。
 私はバランスを失って倒れた。
 でも、身を投げだしたカイルが受け止めてくれる。

「仕事の邪魔だ。帰って、せいぜい王太子のご機嫌をとってこい」

 そう言うと、お父様は私たちはもう目に入らないかのように、書類仕事を始めた。
 私はお父様の気が変わらないうちに、カイルを助け起こし、二人でよろよろと書斎を出た。 

 

 
 
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