シンガポール・スリング
“日本を代表する若きトップが目指すもの”

クリックすると同時にレンの上半身の写真がスクリーンの左半分に現れた。

いた―――。やっと会えた。

突き刺すような視線でこちらを見つめ返してくるレン。

あの土砂降りの中、体に羽織ってくれたジャケットと同じ色のスーツ。
未希子は嗚咽を抑え込むように口元を覆い、その写真を見つめた。自分がこれほどまでに彼に会いたいと思っていたことにやっと気づいた。
スクリーン越しのレンにそっと手を伸ばし、輪郭をなぞってみる。
父親が社長の座を息子に譲ったところからインタビューされていたが、ページの最後に“購入後に全文お読みいただけます”の表示がされていて内容がわからない。明日、書店に行ってみようと考え、とりあえず今はスクリーンに映し出されているレンの姿をしばらくぼーっと見ていたが、よく見ると、写真の下の解説文にレン・リン(林 仁/Ren・LIN)と彼の名前が書かれていた。
レン・リンって日本語でこういう字だったんだと思いながら、もしかしたら林 仁とかRen LINで検索したら何か出てくるかもしれないと何気なく検索すると、Top stories と題して、ここ数日のニュースがいくつも出て来た。

なんだ。こんな簡単なことだったんだと思ったと同時に、あれ?と目の前の写真を凝視した。どの写真もレン一人ではなく、女性が写っている。ニュース記事は英語のニュース記事もあれば、中国語のニュース記事まである。

どういうこと?

中国語がわからない未希子は英語の記事をクリックしてみるが、いまいち理解できない。もう一つの記事をクリックすると、英語で「結婚秒読み?!」と書かれた見出しがあった。自分の英語が間違っているのかはわからないが、少なくとも掲載されてある写真は二人が見つめ合っているように見える。女性の顔を見ると、切れ長でエキゾチックな眼を輝かせてレンを見つめていて、赤い唇がうっすら開かれていて女性が見てもドキッとしてしまう。そんな彼女に少し顔を傾けながら面白そうにほほ笑んでいるレン。

胸がぎゅっと握りつぶされるような痛みが走った。

さっきまで見つめていたいと思っていたはずなのに、こんな写真は見たくない。それでも内容が知りたく、英文を翻訳機にかけてみたところ、レンの隣に立つ彼女はシンガポールIT企業で働きながらモデルをしている27歳で、今回レンのプロジェクトのためのデータ解析を提供したことで関係が深まったとのこと。
彼女の“知人”によると、お互い忙しい中、わずかな時間をかき集めて会っているほど夢中だとか、最近結婚した“同僚”からのコメントによると、つい最近彼らが行ったチャイムスでの結婚式がとても気に入ったと彼女が言っていたとかで、そこでの結婚式を考えているのではないかなど。そして、彼女の本名でもあるシュンリン(春鈴)としてシンガポールでモデルをしているなどが書かれていた。春鈴と検索すると、簡単に彼女の写真が何枚も出て来た。
その中でもどこかのパーティーか何かの写真だろうか。長身で体の線をなぞるように赤いドレスがぴったりと張り付いていた彼女の写真は惚れ惚れとするほど美しかった。それに、この記事の内容が正しければ、彼女はキャリアも持った完璧な女性だった。

自分だって今の仕事が好きだ。会社でも働いたがバリスタが本業だと思っている。
それでも、今この瞬間、レンと釣り合えるようになるためには前の仕事のほうが適役だっただろうと思わずにはいられなかった。

記事がアップされたのは3日前。
つまり自分がシンガポールを離れた後の写真だ。シンガポールにいた時、レンにも自分から言ったではないか。身分不相応だと。あの時はそう自分で言ったはずなのにいつの間にか、レンの隣に立つ自分を想像し、彼と会える日を指折り数えて待っていた自分がいたのに気付いた。

―――もうやめよう。

シンガポールは、あれは全て夢物語だったのだ。
未希子は自分にそう言い聞かせながらも、理由もなく流れてくる涙を振り払うことはできなかった。




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