孤高の脳外科医は初恋妻をこの手に堕とす~契約離婚するはずが、容赦なく愛されました~
一色先生が一度外して、待合で待機している家族へ説明に出た。
剣崎先生は脳波モニターに張りついて、局所麻酔のコントロールを続けている。


「酒巻さん。聞こえますか。執刀医の霧生です」


霧生君が、一音ずつ区切って酒巻さんに呼びかけた。


「……はい」


酒巻さんが、ぼんやりと目を開ける。
焦点を合わせようとして視線を揺らし、覗き込む霧生君に留まった。


「すみません。予定を変更します。申し訳ありませんが、もう少し起きていていただけますか」

「……?」

「腫瘍が、言語中枢にかかっています。今度はテストではありません。できる限り取り除くために、私たちに声を聞かせてください。言葉を失わないギリギリのところまで、アプローチさせてください」


熱心に説明する霧生君に、私はゴクッと唾を飲んだ。
酒巻さんが、パチパチと瞬きをする。


「言葉を、失わない……」


霧生君が、「はい」と頷いた。


「取らずに残すこともできますが、再発の可能性が高い。私はあなたの命も言葉も守りたい」


時間の猶予がない究極の選択を迫られた酒巻さんは、静かに目を閉じた。
返事を待って、霧生君も黙る。


オペ室には能楽と、モニターの機械的な電子音が響く。
焦れるのに、急かすこともできない。
息が詰まる沈黙は、それほど長くはならなかった。


「家族の了承と同意を得た」


一色先生が凛と声を張ってオペ室に戻ってきた。
その後から、言語聴覚士も続く。
< 182 / 211 >

この作品をシェア

pagetop