君しかいない
 山中のビストロでランチの際も美術館拝観の時も、街に戻って来る車内でも素敵なレストランでディナー中の今も。成瀬の名を出すことは極力控え、翔斗さんの機嫌を損ねないよう注意を払う会話を続けた。
 けれど、名を出すまいと気にしているからか「今頃、成瀬はどこで何をしているんだろう」なんて考えてしまっている。

「このフォアグラ、美味しいね」
「……そうですね」
「あれ? あんまり進んでないね。フォアグラが苦手なら僕が頂くよ」

 フォークが伸びてきて、わたしのお皿からフォアグラとキャビアをさらっていった。
 気を遣いながらの食事だから、いつもより食べるペースが遅かったかもしれない。けれど、フォアグラは苦手ではないしキャビアに至っては大好物なのに。なんて、翔斗さんの行動に少しガッカリしてしまった。

「ご馳走様でした。美味しかったです」
「それはよかった、また来ようね」
「……今日はありがとうございました」

 帰宅途中の車内で翔斗さんへお礼を告げる。頭では成瀬のことばかり気にして考えてしまっていたけれど、今日のデートがつまらなかったわけでは無いし、翔斗さんがどんな人なのかも見て感じることが出来たと思う。
 やっと帰れる、帰ったら成瀬に電話でもしよう。それで今日一日、どんな風に過ごしたのか話して成瀬に聞いてもらおう。
 ふと車の窓から外を眺めた。目には見知らぬ街並みが広がっている。
 どういうことなのだろう、翔斗さんは家まで送ってくれているはずなのに……。
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