囚われの令嬢と仮面の男
 それ以外の言葉が見つからなかった。

 伯爵家長女としての素養が身につかない私には、婚約者なんてそうそう見つかるわけがない、そう思っていただけに、お母様の期待にそえない自分を申し訳なく思った。

 けれど、ただひとり。帰りがけに会った男爵家の彼に、ときめきに近い感情を抱いていた。重ねた両手をそっと胸に当てて、昨夜のことを思い出す。

 エイブラム・ド・サミュエルさん……。

 暗闇のなかで光る青い目と、彼の美しい顔立ちが今も脳裏に焼き付いている。

 ーー『またどこかでお会いする機会もあるでしょうから』

 そう口にしたあの言葉も、単なる社交辞令だろう。

 そうは分かっているけれど、また会えたら……。

「小言はそれぐらいにしておきなさい。どのみち、マリーンの体調がすぐれなかったのなら、長居するのも相手方に失礼だろう」

「けれどあなた、そうは言いますけど……」

「マリーン。あとで私の書斎においで、いいね?」

「……あ。はい。お父様」

 お父様はお母様の文句を取り合わずに、さっさと席を立った。

 紅茶のカップに口をつけて飲み干し、私も椅子を引いた。
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