大学教授と学生の恋の行方は‥
■第11話 それぞれの葛藤
順子の母親は悩んでいた。
宮本主任教授を診察してから1か月が過ぎた。だが、それをまだ順子には伝えていない。伝えるべきなのか、伝えない方がいいのかの判断ができないのだ。

順子はすでに、あの老人と別れてから1年以上が過ぎている。あんな老人と付き合うなんて、親としては絶対に反対だし、理解もしてあげられない。だから、何も知らないまま過ごす方が、幸せな気もする。

だが、もし、順子が本当は未だに老人のことを、まだ好きなのだとしたら……。それを最初に診たのが自分だったということを知ったら、娘はどう思うだろうか。けれどそれと同時に、医者には守秘義務があるので、他人の病状を自分の身内だからと言って、おいそれ言っていいものでもない。だが――

「はぁ……困ったわね」

順子の母親は、宮本主任教授が自分の勤める市立病院で受診したことを恨んだ。

そしてもう1人、悩んでいる人物がいた。土島主任教授だ。
彼女の言葉では、宮本主任教授の心は動かせない。どんな言葉を言っても、心の奥に響かないのだ。それはこの前のことでわかったこと。

だけど、あの小娘だったら――?

土島主任教授の脳裏にちらつく小娘の姿。
宮本主任教授が今どんな状況にいるかも知らないで、のうのうと大学に来て講義を受けている小娘。

土島主任教授は順子のことを認めていない。宮本主任教授が退官した後の時間は、自分との時間だと思っていたのだから、当然だろう。

でもそれは違う。
宮本主任教授が順子と出会った時から、土島主任教授の思い描く未来は立ち消えてしまったのだ。

宮本主任教授が順子と出会う前に、宮本主任教授が退官したら……なんて考えず、わき目もふらずに愛を継げていたら、未来は変わったかもしれない。
でも土島主任教授が来てしまった現在は、土島主任教授が何も行動を起こさなかった現在だ。これはもう、変えることができない。

「……でも、それでも、宮本主任教授には生きていてほしい。あの人を亡くすなんて、この病院としても大きな損害だもの」

土島主任教授はギュっと力強く手を握り、声をかけたくない小娘に連絡をすることにした。どんなに嫉妬をすることになったとしても、これ以上、行動を起こさなかった自分に後悔はしたくなかったからだ。

「大槻さん」

大学の廊下を歩く順子の後姿に向かって、土島主任教授は声をかけた。

「土島主任教授?」
「ちょっとお話があります」
「話……ですか?」
「えぇ、今から私の部屋まで来てください」
「……はい」

順子は、土島主任教授に対して怖いという感情しか持っていない。さらに言うなら、彼女から嫌われていると思っていたので、こんな風に呼び出されることに言い知れぬ不安を覚えた。

土島主任教授の部屋に入ると、彼女は順子をソファに座らせた。土島主任教授は順子の前には座らず、自分のイスに座っている。

「最初に聞きたいんだけど、あなた最近、国見君と付き合っているようね。それは本当のことなの?」
「えっ?」

順子は予想外の質問に驚く。
講義の話か、病院の話か、どちらかだと思っていたからだ。それが、完全にプライベートな質問をされて、順子は戸惑った。

「いいから答えなさい」

土島主任教授は、相変わらず有無を言わさないような圧力をかけてくる。

「……答える義務はないと思うのですが、付き合ってはいません」
「あら、そうなの。でも、2人が一緒にいることは多いみたいだし、付き合っているといううわさが流れているのは知っていますよね?」
「それは……知っていますけど……」
「つまりあなたは、国見君を手玉に取っているということかしら?」
「違います! 私は本人には一度断ってます!」

順子は、立ち上がって抗議をする。そしてすぐに、また自分がカッとなってしまったことに気づき、小声ですみませんと言って、ソファに座った。
これでは、宮本主任教授と別れるきっかけになったパーティの時と同じことだ。

「ふふ、まぁいいでしょう。さて、本題に入りましょうか」
「本題?」
「実はね、宮本主任教授が胃がんで、余命1年の申告を受けました」
「え!?」

順子は再び立ち上がる。

「胃がん!? 余命1年って何ですか!? ……確かに、最近の宮本主任教授の講義は休講になっていますけど……」
「宮本主任教授が講義をすることはもうないわ。だって今は入院中ですもの」
「!?」

土島主任教授も立ち上がり、順子の近くへと歩いていく。

「このまま何もしなければ、宮本主任教授は退官前後にこの世を去ることになります。けれど、助かる方法もあるんです」
「本当ですか!?」
「えぇ、100%とは言えないですけどね。ちょうど、私の手元に新薬があります。これを使った抗がん剤治療を行なえば、胃がんを克服することができるかもしれません」
「だったら……だったら、それを早くしてあげて下さい!」

順子は土島主任教授に縋り付くような目で訴える。だが、土島主任教授は首を横に振った。

「私もこの治療を施してあげたいと思っています。ですが、本人の承諾なしにはできないんですよ」
「どういうことですか?」
「宮本主任教授本人が、この治療をしたくないと言っているんです。彼は、すでに死を受け入れていて、退官したら余生をのんびり過ごしたいと……」
「そんなのダメです!」

順子は、これまでで一番大きな声を出す。

「宮本主任教授は、生きなきゃダメです! 胃がんなんかに負ける人ではありません!」

土島主任教授は真っすぐな順子を見て、初めて彼女に負けたと感じた。どこまでも真っすぐな順子だからこそ、宮本主任教授の心を掴んだのだろう。そして、彼女であれば、宮本主任教授の意見を変えることができると、土島主任教授は確信した。

「じゃあ、あなたがそれを宮本主任教授に伝えなさい。あの人が入院しているのは、この大学病院です。病室を教えますから」

土島主任教授は病室をメモ用紙に書き、順子に握らせた。

「あ……でも、私は別れた身だか――」
「何をもたもたしているんです? すべての責任は私が取ります。さぁ、早く行きなさい!」
「……はい!」

順子は手渡されたメモを握り締め、主任教授室を飛び出したのだった。
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