社長っ、このタクシーは譲れませんっ!
 母親とはあまり仲良くないと聞いていたのに、人のいい。

 ひとりの人間として見たら、好ましい人物なのかもしれないが。

 社長として、その人のよさはどうなんだろうな、と思いながら、玄関ホールに入る。

 将臣はちょうど来た専務に話しかけられ、そちらに行ってしまった。

 千景とともに取り残される。
 
「あっ、では、私はこれで」
とそそくさと行こうとする千景を呼び止めた。

「待て。
 ちょっと編纂室に用がある」

 一緒に行こう、と言うと、千景は意外そうな顔をした。

 特に用などないと察しているようだった。

 だが、千景は、ぼんやりはしているが、莫迦ではないので。

 自分が千景に好意を持ってそう言っているのではないとわかっているようだった。

 怯えたようにこちらを窺っている。
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