策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
 森の中の木漏れ日みたいな光にまで、心の中で声をかけてみよう。

 私を歓迎してくれているんでしょ、包み込んでくれてありがとう、とっても暖かいよ。

「それはよかった」
 声よりも息に近い(ひそ)やかな囁きが、私の耳に甘く絡みつく。

 今の甘い囁きは、息遣いが聞こえる距離まで卯波先生が腰を屈めて、呆気にとられている私に、息を吹き込んでくれたみたい。

 わざと甘い声なんか出して。
 かかる息の温かさで、私の体は凄く温められて、今どきどきしているんだからね。

 息を飲み込む音が、卯波先生に聞こえやしないかとひやひや。

「聞こえていない、さあ、こっちへおいで」
 き、聞こえているじゃない。

 足がつまずきそうな私の動揺なんか、どこ吹く風で卯波先生がスマートにエスコートをしてくれた先。

 今度はなに?

 お招き用のかな、フォーマルな応接セットがある。
 ここでお待ちいただくとか、軽い打ち合わせとかするのかな。

 見ている光景が、私には信じられない。

「せい坊ちゃま、昼食の支度が整っております」
「ありがとう」

 半歩先を優雅に歩く根崎さんにつづこうとした卯波先生が、私に気づいて腰に軽く触れてきた。

 それは現実に戻る合図みたい。

「こっちだ」
 ここにいると喧騒とは無縁だと思う。

 卯波先生の話し方が、物静かで穏やかな理由がわかった気がする。
 ゆったりと優雅な時の流れは、ふだんの生活とは別世界。

 聞こえてくるのは、ささめくような枝の揺れる音や木々の葉擦れの音や、さえずる小鳥の声のみ。

 なにもかも癒される自然の音が、耳に流れてくるだけ。なんて居心地がいいの。

「ここを気に入った、そうだろう」
 聞こうとする人の耳にしか届かない小さな声。
 私にしか聞こえない、低くて甘い声が耳に流れ込んで離れない。

 胸に両手をあてて、深呼吸しながら頷くのが精一杯。

「だろうな」
 私の心臓ったら、蝶々みたいに飛び回っているんでしょ。
 おとなしくしていなさいってば。

 今までの薔薇みたいな深紅の絨毯のエントランスホールを抜けて、しばらく歩いたらワックスで磨かれて、蜂蜜色に艶々しく輝く廊下が出てきた。

 長い、どれだけ長いのか万歩計で測ってみたい、何百歩あるの?

「今はダイニングルームに向かっている」

 なにかのたびに卯波先生は丁寧に説明してくれて、その合間を縫っては、長そうな道のりを根崎さんと話している。
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