仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


「伊東、俺はお前が分別のない人間ではないと信じてる。最後に聞く。離婚届はどこにある」
「……私の、デスクの引き出しです」

 素直に白状した閑に、ホッとする。本当に勝手に出したのではと、内心ハラハラしたが、さすがにそこまではしなかったらしい。

 回収しようと閑のデスクに向かう。その刹那、背後からこの場に似合つかわしくない笑い声が届いた。見れば、閑がうつむいたまま肩を揺らし、笑っていたのだ。

「離婚届けを出したって言った時のあの子の顔、今思い返しても笑えちゃう。青ざめて、今にも泣き出しそうで」
「杏に何をした」

 そう問いただすが答えず、クスクスと肩を揺らし、涙をこぼしながら笑っている。これがあの真面目で有能な閑なのかと疑いたくなる。

「杏になにかあったら、ただじゃおかない」

 大知はぐっと悔しさを拳に閉じ込めると、踵を返し帰り支度を始めた。

 閑にどう言われたかわからないが、今頃一人で落ち込んでいるだろう。泣いているかもしれない。電話やメッセージが返ってこなかったのも、きっとそのせいだろう。まさか、家を出て行ったりしていないだろうか? 嫌な予感が次々に浮かぶ。

「君の処分は追って通達する」

 冷たい声出そう告げると、大知は医局を飛び出した。

 好きな女一人守れないなんて、夫失格だ。

(なにやってんだ、俺は。やっと手に入れたのに、またこんな傷つけるような真似……)

 大知は急いで車に乗り込むと、必死の形相で街中を駆け抜けた。


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