仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


 それ以上大知の顔が見ることができなくて、杏は黙々と食器を洗っていく。耳は茹でたように、真っ赤になっていた。

 大知はいつも背後から気配もなく近づいてくる。あの時だってそうだった。存在感がすごい人は、オーラを消せるというのは本当なのかもしれない。

(……って、大知さんはあんな昔のこと、覚えてないだろうけど)

「杏、耳が真っ赤だぞ。どうした」
「ど、どうしたって……」

 全部大知のせいだというのに、無自覚で言っているのか? はたまた意地悪なのか。杏にはそれすら判断できない。

「なぁ、杏」
「は、はいっ」
「さっき、臨床心理士について調べたって言っただろ? その文献には、人の心の声を聞く仕事だと書いてあった。杏は俺が今何を考えているかわかるか?」
「どうしたんですか急に。そんなの無理ですよ。きちんと相手の目を見て、じっくり話してからじゃないと。臨床心理士はエスパーでも魔法使いでもないんですから」

 大知らしくない発言に、ついふふっと笑ってしまった。すると大知はさらによくわからないことを言い出した。

「じゃあ、教えようか。今俺が考えていること」

 そう言うと、強引に水道を止めた。

「な、何するんですか。まだ途中……」

 慌てて抗議しながら、くるっと体を反転させる。その刹那、大知が待ってましたとばかりに杏を正面から抱き寄せた。

「え……?」

 大きな体が、杏をすっぽりと包み込む。こんなこと初めてで、どうしていいかわからない杏はただただ、目を丸くし固まっていた。

「杏、最後くらい、夫婦らしいことしようか」

 耳元で艶っぽくっ囁かれ、杏はぽかんとしたまま顔を上げる。見上げた先には、男っぽい熱を瞳に宿した大知がいて、無意識に喉が鳴った。

(――それはいったい、どういう意味ですか?)


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