秘夜に愛を刻んだエリート御曹司はママとベビーを手放さない
「い、いらないわよ!」
 笑っていた茉莉が急にすっと真面目な顔になる。
「でも、結婚しちゃう前の今が最後のチャンスよ。一生に一度くらい、悪い子になって好きな男を誘惑してみたら?」
 茉莉の言いたいことはわかる。悔いを残すな、という意味だろう。だけど――。
(悪い子に……なんて、私の一番苦手なことだよ)
 
 それから六日後の日曜日。
 風にいくらか秋の気配を感じるようになったものの、昼間はまだまだ残暑が厳しい。訪れる客たちはエアコンのきいた館内に入ると、一様にほっと息をつく。

 尾野(おの)美術館。青山という都心の一等地にありながら、広々とした日本庭園を有する私設の美術館だ。そのコレクションは東洋の古美術品がメインで、文化的価値は非常に高いものの、ややマニア向けであることは否定できない。
 だが、庭園の素晴らしさはよく知られているし、館内はとてもモダンで写真映えもするので、古美術には関心のなさそうな若いカップルなども多く訪れる。

 清香はここで学芸員として働いている。いつかは実家を継ぎたいという気持ちはあったが、外の世界で勉強することも必要だろうと大学院卒業後に就職し、ようやく三年目。やっと仕事に慣れてきたところだった。
「榛名さん。次の企画展の打ち合わせなんですが、資料を印刷したので最終チェックしてもらえますか?」
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