花は今日も咲いているか。~子爵夫人の秘密の一夜~
「うるさい! 黙れ、黙れ! 誰がお前みたいな女と結婚したいと思うものか!」

 ハッと息を飲み、アーノルドを見上げる。
 彼は目を血走らせてエレナを睨み付けていた。
 
「美しくも無ければ、可愛げもない! 高慢で、すぐに他人を見下す! お前のような女となんか、オレだって結婚したくはなかった!」

 エレナは――、すぐに何も言葉が出ず、ただ嗚咽を漏らした。
 ただ両目から涙を流し、彼を睨み付けることすら出来ず、顔をそらす。
 最低な気分だった。最低で、最悪で、悔しくて――、惨めだ。
 分かっている。分かっていた。アーノルドが自分との結婚を望んでいなかったことは、よく分かっていた。だけど……。

「嫌いっ、嫌いよ……! あ、あなたなんか……!」

 嗚咽まじりに言えば、アーノルドはハッと我に返ったように、エレナを押さえつけていた力を緩めた。エレナはその隙を逃さず、もう一度の彼の腹を蹴り上げてベッドから逃げ出すと、寝間着のまま部屋から飛び出した。
 夫婦の喧嘩に気付いているのかいないのか、宿直の使用人は誰も出てこない。その事にほっとしながら、エレナは足早に廊下を進んだ。
 どこでもいい。アーノルドのいない所へ行きたかった。

「エレナ!」

 だが少し走った所で、正気に戻ったらしいアーノルドが追いかけてくる声がした。
 エレナは慌てて階段を駆け下りると、屋敷の裏口から庭に飛び出した。
 外に出るとうっすらと小雨が降っているの気付いたが、屋敷に戻ってアーノルドに見つかるのがイヤで、エレナは庭を奥へと進んだ。当然辺りは真っ暗だが、少しすると目も慣れて、生垣にはぶつからずに歩けた。
 トマと初めて出会った場所を通り抜ける。
 もちろん今はそこにトマはおらず、エレナは軽く鼻を啜った。

 ――雨が。

 頬に当たる雨が強くなってきたのに気付いて空を仰ぐ。
 厚い雲に覆われた夜空には星ひとつない。
 エレナはさらに最悪な気分になって、感情にまかせて「ああ!」と声を荒げ、その場で地団駄を踏んだ。流れる涙を拭い、頬に張り付いた髪を指で払って、さらに進む。もう少し進めば納屋がある。とりあえずそこで雨を凌ぎ、気持ちを整えてから、屋敷に戻るなり、そこで一晩を過ごすなり考えようと思った。
 だが納屋に着き、扉を少し開けた所でエレナはびくっと肩を震わせた。
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