花は今日も咲いているか。~子爵夫人の秘密の一夜~
 中から「誰?」と、男の声が聞こえてきたからだ。

 ――誰かいるの?

 まさか強盗だろうか。エレナは咄嗟に逃げだそうとしたが、さらに続いた「誰ですか?」という声に動きを止めた。その声に聞き覚えがあると気付いたからである。

「……トマ?」

 訊ねると、中にいる男が驚いた様子でこちらに駆け寄ってきた。

「まさか、奥さまですか?」

 トマが、半開きだった扉を中からガラッと勢いよく開く。
 エレナは信じられない気持ちで彼を見上げ、さらにどうしていいか分からずに体を強ばらせた。なぜ彼がここにいるのか――。
 トマも何と言っていいか考えあぐねているようだったが、エレナの頭から足元までを見つめると、体を斜めにして道をあげた。

「雨です、どうぞ中へ」
 
 促され、エレナは少し迷ってからそれに従った。
 確かに、いまは雨だったからだ。 
 トマが、納屋の隅に置いてある洋灯に火を付ける。ぽうと暖かな明かりが広がると同時、彼の背中に藁がついているのが見えた。

「ここで寝ていたの?」
「はい」
「……どうして?」

 彼は通いの庭師だし、そもそも来月まで来ないと聞いていたのに。

「ほら、昨日ルドーさんが腰を痛めたではないですか? オレもそれを聞いて、朝の手入れを手伝いに来たんです。オレ、最近は別の所に手伝いに行っていたんですが、ルドーさんが心配で慌てて様子を伺いにきて、それがもう遅い時間だったので、折角だから今日は泊まって行けば良いと執事の方が」
 
 そんな話は全て初耳だ。
 だがエレナはいつも就寝が早いから、庭師を納屋に泊まらせるぐらいのことなら、執事が気を利かせて言わなくても不思議ではない。ルドーが腰を痛めたことも知らなかったが、それこそわざわざ執事がエレナに言うことはないだろう。
 エレナは「そう」と軽く頷いてから、首を傾げた。

「でも、それならルドーの所に泊まればよかったでしょう」

 ルドーの住んでいる小屋も、この敷地のなかにある。
 少なくとも納屋よりは広く快適な場所のはずだ。

「オレは体が大きいから、納屋で寝る方が気が楽なんです。寝相も悪いし、いびきもかくから」

 照れくさそうに髪を乱しながら言ってから、トマは心配そうにこちらを振り返った。

「奥さまは、一体どうされたんですか?」
「……別に、何でもないわ」
「何でも無いって様子ではないです」

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