花は今日も咲いているか。~子爵夫人の秘密の一夜~
 トマはこちらに歩み寄ると、まず開けっ放しだった扉を閉めてから、そっとエレナの腕に触れた。

「……泣いておられます」

 男の体温を感じると、ふっと、それまで張り詰めていたものが和らいだ。
 するとまた涙が込み上げてきて、ふいと顔を横へそらす。

「夫と喧嘩をしたのよ。それだけ、……どこにでもある話だわ」

 トマは、エレナの横顔を見つめて口を開いた。
 
「叩かれたのですか?」

 エレナの腕をぐっと掴み、トマが言葉を繰り返す。

「頬が、赤くなっています。叩かれたのですか?」
 
 エレナは何も答えなかった。
 ただ視線を床に落とし、鼻を啜ることで肯定とする。
 トマは今度はエレナの手に触れ、強く握りしめた。
 
「許せません、オレなら……」

 オレなら?
 唐突に――、エレナは自分がいま危うい足場に立っていることに気付いた。
 悪魔に囁かれたように、ゆっくりと視線をトマに向ける。彼の緑色の瞳はまっすぐにエレナを映していた。

「オレなら……、奥方のように綺麗な方をもらったら……、きっと、一生大事にするのに」

 エレナは思わず喉を上下させた。
 まるで酩酊したように気分が良くなり、心臓の鼓動が早くなる。

 ――そうよ、私は……、この男に会いたいと思っていた。

 これは待ちにまった再会だ。嬉しくないはずが無い。
 胸に喜びがわき上がると同時、脳裏に夫の顔がちらついて、エレナは彼にしなだれかかった。

「……トマ」

 トマがわかりやすく体を強ばらせる。
 エレナはある種の確信をもって彼を見上げた。

「……あなたに、ずっと会いたいと思っていたわ。会いたかった」

 わざと皿を割るような高揚感に突き動かされて、エレナはそう言った。
 トマが人懐っこそうな緑色の目を大きく見開き、喉を上下させる。エレナの心臓は、まさに破裂しそうだった。
 見つめ合い、数秒。
 トマが激しくエレナの唇に噛みつく。エレナは迷わず唇を開くと、その隙間からねじ込まれる舌を受け入れた。そのまま背後の壁に体を押しつけられ、さらに強く唇と舌を舐られる。エレナは彼の頬を両手で挟み、そのキスに応えた。
 春の終わり頃とはいえ、暖のない納屋は肌寒い。二人はぬくもりを分け合うように、下半身を互いに擦りつけながら激しい口づけを繰り返した。

「トマ、ああ……、もっと」

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