観念して、俺のものになって
黒いエプロンをつけた紬さんは、アルコールランプとフラスコを手元へ用意した。
ろ過フィルターを入れた漏斗に珈琲豆を量り入れる。
フラスコの外側の水滴を丁寧に拭い、
次にお湯を入れてからランプに火をつける。
そしてフラスコを支えるスタンドを押さえ、漏斗を熱湯が入ったフラスコへと慎重に差し込んだ。
漏斗が沸騰したお湯をフラスコから吸い上げて、彼はその中で浮かび上がる珈琲粉を竹べらで攪拌しだす。
はぁ……いい香り。
彼は知らないかもしれないが……紬さんがあの珈琲を作る間、ものすごく真剣な表情をするのよね。
私だけではなく、コーヒーが好きであろう他のお客さんため息が店のあちこちから漏れた。
多分あの珈琲が注文されるのは、店長がいる時だけなのではないかとこっそり思っている。
じっと珈琲を見つめていた彼は、素早くアルコールランプをフラスコの真下から退けて火を消すと、再び漏斗の中に竹べらを入れぐるぐるとかき混ぜる。
竹べらをそっと引き抜くと、珈琲がフラスコの底へと落ち始めた。
それが落ちきったのを確認した紬さんは、口角を上げてフッと嬉しそうに笑う。
珈琲に向けられている笑顔が、なんだか私に向けられているような気持ちになって、慌てて文庫本に視線を落とした。
さっきより胸の締め付けがひどくなって、ぎゅっと瞳を閉じる。
大好きな読書と、美味しい珈琲さえあったら最高の一日が送れるはずなのに。
どうしてそれが揃っているのに、集中できなくなっているの?
私は両頬を軽く叩いてから、また小説の一行目に挑戦しはじめた。
「……ふうん、今日は『仁科 隆聖』の『暁』?相変わらずいいチョイスだね」