もう一度会えたなら
 翌朝、美紀は会社に退職届を提出した。
 それを聞き付けた大希が、真っ青な顔で美紀の元へ駆けつけた。

「美紀、どういうことだよ」

「聞いたんでしょ? 辞めるの」

 大希は面食らった表情をしている。

「何で? 何でだよ! そんなこと今までひとことも言ってなかっただろ?」

「昨日、突然決めたことだから」

 美紀は淡々と答える。

「どういうことだよ! ちゃんと説明してくれないとわかんないだろ!」
 
 珍しく大希が苛立っている。
 美紀の頭に昨日の記憶が甦った。大希のあの厭らしい雄の顔が。

「自分の胸に手を当ててよく考えてみたら?」

 美紀がそう言うと、大希の瞳が揺れた。

「心当たりあるんじゃないの? 瑠璃子ちゃんのこと」

「え? 何のことだよ……」

 明らかに動揺している。誤魔化すなんて大希らしくない。

「昨日見たよ」

「え!? 違うんだ! 彼女とは――」

 言いかけて、大希は周りを見回した。そして、声のトーンを落とした。こんな時でさえ人目を気にするような人なのだ。公衆の面前で人目も憚らずあんなことが出来るような人ではないはずなのに……。

「とりあえず、今晩美紀の家に行くから待ってて」

 そう言って、大希は足早にデスクへと戻っていった。

 大希が謝るのか、言い訳するのか、どちらにしても美紀の答えはもう変わらない。しかし、三年という時間と築き上げてきた信頼関係を、一瞬にしてうちひしがれた美紀の気持ちは、さすがに収まらない。
 せめて、数日間思い悩ませる時間を与えるくらいの仕打ちは許されるはずだ。
 そう考えた美紀は、自宅には戻らず理香子の家に泊めてもらうことにした。

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