指輪を外したら、さようなら。
 やっぱり。

 比呂は避妊具を着けていなかった。

「せっかく気持ち良かったのに、興醒めだわ」

「千尋」

「奥さんと何があったか知らないけど、私を――」

(あいつ)は関係ない!」

 びっくりした。

 仕事では大声で部下を叱ることもある。けれど、その時とは違う。理性を失った、感情的な叫び。

 比呂は大きく深呼吸をした。

 真っ直ぐに私の目を見る。

「俺は、美幸と離婚して、千尋と結婚したい」

 

 美幸って名前なんだ、奥さん。



 どうでもいいことを、思った。

 私は比呂が好きだ。

 愛人関係を始める前から、同僚として尊敬していたし、信頼もしていた。

 一緒にいて無理もないし、身体の相性もいい。

 きっと、結婚するなら、比呂みたいな男性《ひと》が私には合っている。



 結婚、できるなら……。



「比呂のことは好きよ? 薬指に指輪をしている限りはね」

 この一年、同じ台詞(セリフ)を何度も言った。

 比呂が私との未来を望む度に、何度も。

 聞き飽きたはずの台詞なのに、言われる度に比呂は寂しそうな表情(かお)をする。何度でも。

 今も、そう。

 今まで以上に、寂しそうな表情。

「どうして――」

「最初から言ってたでしょ? 私と比呂の関係は、比呂の離婚が成立するまで、って」

「指輪をしてる俺は好きで、してない俺は好きじゃない?」

「――そうね」

 そんなこと、あるはずがない。

 ないけど、認めるわけにはいかない。

「なんだよ、それ――」

 比呂は左手で髪を掻き上げた。薬指の指輪が光る。

「離婚、決まりそうなの?」

「……」

 比呂が焦って、避妊もせずに私を抱いたのは、そういう理由からじゃないかと思った。

 私はベッドの下に脱ぎ散らかした服を拾い、比呂のものは比呂の膝に置いた。さっきまで驚くほどその存在感を誇示していたモノは、すっかり意気消沈してしまった。

 私はショーツを穿き、パーカーのファスナーを上げた。

 比呂も服を着て、ベッドから降りた。

「帰るわ」

 そう言うと、比呂は私に一瞥もくれずに出て行った。

 今夜もまた、比呂のパーカーを着て眠った。

 彼の感触が残る身体を抱き締める自分の腕が、とても冷たく感じられた。
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