指輪を外したら、さようなら。
『相手、しようか?』
比呂は驚いた顔で、『はっ?』と聞いた。
私は笑って、『なんてね』と冗談にした。
そこで終わるはずだった。
けれど、終わらなかった。
『相手、してよ』
そう言って私を抱きしめたのは、比呂。
『奥さんと別れるまで、ね?』
そう言ってキスをしたのは、私。
あれから一年。
私は、比呂の別居の理由を知らない。
「ねぇ、寝ないでよ」
セックスの後、しばらく抱き合っていると、頭上で気持ち良さそうな息遣いが聞こえた。顔を上げると、比呂の目は閉じていた。
「ねぇ! 帰って寝てよ」
肩を揺すってみても、反応はない。
「比呂! 起きて!」
やはり、反応はない。
私は比呂のお腹の上に跨り、親指と人差し指で鼻を摘まむと、キスをした。正確には口を塞いだ。息が出来ないように、比呂の口を覆うように。
五秒ほどで比呂の身体が酸欠に驚いた。
両肩を掴まれて、引きはがされる。
「――っは! 何だよ!」
「起きないからでしょ」と言って、比呂の上からおりようとした。が、腰をしっかりとホールドされ、出来ない。
「無理やり起こしてまでもう一回シたかったのかよ?」
「バカ! 寝るなら帰って寝てって言いたかったの!」
「いーじゃん、もう。このまま一緒に寝よーぜ」と言いながら、私の肩を引き寄せる。
私は比呂の上にうつ伏せで圧し掛かった。
「ダメだってば! 帰って」
「離婚したら、いいの?」
急に静かな声で、耳元で囁かれてハッとした。
「は?」
私を抱きしめる比呂の手に、力がこもる。
「俺が離婚したら、毎日朝まで一緒にいてくれるか?」
マズい、と思った。
この一年、期待を持たせるようなことは言わなかったつもりだ。いつも、肝心なところでは冷たくあしらっていたし、比呂もわかっていると思っていた。
私たちの関係についても、離婚についても、何も言わなかったから。
「何、言ってるの?」
わざと、バカにするように鼻でフフンと笑って言った。
「最初に言ったでしょ? 私たちの関係は、比呂が奥さんと別れるまで、だって」
比呂の手から力が抜け、私は起き上がった。
「どうして俺の離婚が、俺たちの別れに繋がる?」
私は比呂に跨ったまま、真っ直ぐに見下ろして言った。
「フェチなの」
「は?」
「結婚指輪フェチ?」
私は比呂の左手に指を絡ませた。その手を引き上げ、薬指の指輪にキスをする。
私じゃない妻のものだという証。
「この指に……指輪をしていない男には、感じないの」
「――んだよ、それ」
比呂は、低い声で言った。その声は苛立ちを含んでいて、それを隠そうと努めているようだった。
「そのままの意味だよ」
私は比呂の苛立ちを煽るように、薬指を口に入れる。指先を舌で舐め、横目で比呂を見た。
「悪趣味なフェチだな」
もう、苛立ちを隠してはいない。
比呂は私の手を払いのけ、私を乗せたまま起き上がった。息がかかるほど顔が近づく。
「俺は本気だぞ」
真剣な表情と力強い眼差しに、背筋がゾクッと寒くなる。挿れられた時のよう。
けれど私は、それを気取られぬように見つめ返した。
「私も、本気よ?」
「千尋」
「比呂のことは好きよ? 薬指に指輪をしている限りは――ね?」