指輪を外したら、さようなら。

「で?」

「ん?」

「不倫相手に奥さんを取り次がれた男の反応は?」

「……プロポーズされた」

 素面なら絶対に言っていない。素直に言ってしまったのは、酔っていたからだ。

 決して、嬉しかったからじゃない。

「……はっ!?」

「意味、わかんないよねぇ」

「いや、わかるでしょ? 千尋に本気になったから、奥さんと離婚して、千尋と結婚したいって言ってるんでしょ?」

 比呂も、そう言った。私は信じなかったけれど。

「そうみたい」

「そうみたい……って――」

 五本目を飲み干して、軽く潰した缶を手に、立ち上がった。ほんの少し、クラッとした。

 ホントに、酔ったかな。

 足に力を入れて、六本目を取りに行く。

 なんなら、酔い潰れたかった。

「なんて返事したの?」

「返事も何も、『関係は比呂の離婚が成立するまで』って最初から決めてあったんだし、結婚なんてナイでしょ」

「けど、お互いに好きになったんなら、ルールなんて――」

「あきらはルールをなくせる?」

「……」

 あきらの答えを知っていて、聞いた。

 あきらと私の頑固さはいい勝負だ。

 そして、臆病者。

 自分で決めたルールを破った未来(さき)を恐れている。

 私は六本目を一口飲んで、頬杖をついた。

「奥さん、綺麗な女性(ひと)だったなぁ……」

 ゆっくり瞼を落とすと、開け方がわからなくなった。

「髪が長くて、艶々してて、着物が似合いそうな美人。年相応の落ち着きとか、品があって。ちょっと低めの柔らかい声で、『主人がお世話になっております』って」

 掌にかかる自分の顔の重さに、肘がぐらつく。

「別居してても、主人、か」

 ゆっくり瞼を開き、また、閉じた。

「ホント、お世話してます、って感じだよ」

 瞼が開きかけて、閉じる。

 思考が鈍る。

 体が熱い。

「指輪なんて、大っ嫌い……」

 初めて口にした、本音。

 本当に言葉にしたかは、わからない。

 夢で、呟いたのかもしれない。

 体が揺れて、柔らかい何かに受け止められた。私を眠りに誘う、温かくて柔らかい、何か。

 誰かの指が私の唇をくすぐる。

 頭の上で甲高い機械音が聞こえ、私のスマホはバイブにしたはずだと思った。

 比呂からメッセが届いても、鳴って教えてはくれない。

 比呂は、諦めて帰ったろうか。



 私を、諦めて……。



「ひ……ろ」

 夢の中の私には縛られるルールなんてなくて、比呂の腕に抱かれて幸せだった。頬に触れる彼の指に輝く指輪(もの)は何もなく、私は無防備な薬指にキスをした。比呂は穏やかに微笑み、それから、唇を重ねて、何度も重ねて、耳元で囁いた。

『愛してるよ』

 嬉しくて、嬉しくて、私も応えようと口を開いた。けれど、声が出なかった。

 比呂は寂し気に私を見つめ、背を向けた。

 体が動かない。

 比呂を、引き留められない。

 比呂は、振り返らずに去って行った。



 長い黒髪の女性の元へと――。



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