指輪を外したら、さようなら。
ただの同僚なら、驚いた表情をするのだろう。けれど、私は表情を変えなかった。
だって、ただの同僚なんかじゃないから。
「申し訳ありませんが――」
「ランチ、しません? 場所はお任せします」
断る、という選択肢はなしか。
「――わかりました」
駅前の、個室のある和食レストランに入った。ランチタイムの少し前で、店内は悠々自適な奥様達が何組か談笑しているくらい。
「あまり時間がないんです」と、個室に入るなり、私は言った。
「すみません、いきなり。流石に受付で夫の愛人を呼び出すのはどうかと思って、配慮したつもりなんですけど」
微笑みながら、奥さんが言った。
私なんかより、愛人が似合う女だ。
「ご用件を伺います」
「……愛人、を否定しないんですね?」
「時間がないのは事実なので」
握りと天ぷらの日替わりセットを二つ、注文した。
「改めまして、有川比呂の妻の美幸です」
「相川千尋です」
「あいかわちひろ……さん?」
復唱された。
比呂を知っている人に名前を告げると、大抵は復唱される。聞き間違いかと思うのだろう。逆に、私を知っている人に比呂が名乗っても、同じ。
「紛らわしいですよね。よく、電話の取次ぎ間違いされます」
「比呂と結婚しても、漢字一文字しか変わらないのかしら」
「……そうですね」
妻が愛人に、夫と結婚したら、なんて例え話を笑ってするなんて、悪趣味でしかない。
私は湯呑みに口をつけた。香ばしい香りがする、ほうじ茶。
「するの?」
「え?」
「結婚」
「……」
悪趣味なんてもんじゃない。悪意、だ。
「あ、ごめんなさい」と、奥さんが笑った。
「するの? じゃなくて、したいの? って聞くべきね」
比呂は、奥さんのどこが良くて結婚したんだろう?
男目線と女目線では違うし、そもそも奥さんはカモフラージュの為に比呂と結婚したかったのだから、素顔というか本性は隠していたのだろう。外見は、華やかではなくても落ち着いていて控え目な大人の女性の雰囲気を漂わせていて、話し方も柔らかい。話す内容は決して柔らかくないけれど。
とにかく、外見に惹かれる男性の心理は理解できる。これで、料理上手とか、甘え上手とか、床上手とか、そんな魅力が加われば、有りかもしれない。
親の薦めもあったみたいだし……。
「その質問、そのままお返しします」
「え?」
「お相手の奥様に聞かれたら、あなたはなんて答えますか?」
驚き、動揺、そして、敵意。
きっと、比呂の別居が、性格の不一致とか、仕事が忙しくてすれ違ったとか、そんな理由なら、申し訳なく思ったと思う。けれど、そもそもの原因が奥さんであり、憔悴しきった比呂を見ていた私は、どうしても謝る気にはなれない。
「聞いたのね、別居の理由」
「はい」
「そう……」