指輪を外したら、さようなら。
「それから、お前の代わりに有川がバカ息子を殺さないよう、手綱を離すな」

 バンッと掌で机を叩くと、比呂が立ち上がった。

「大丈夫ですよ。その証拠に、課長は無傷でしょう?」

 

 え――――?



「過去はどうでもいい。この先は、誰にも千尋に触れさせない。それだけです」



 どういう……。



「左手に指輪をはめたまんまじゃ、格好つかないぞ」

 ギロッと課長を睨みつけ、比呂はドアに向かった。

「千尋、帰るぞ」

 そう言って、さっさと出て行ってしまった。

「おー、こわ。ちびるかと思った」

「ふざけないでください」

「愛されてんじゃないか。喜べ」

「そんなこと――」

「いつからか、あいつの俺を見る目が変わって、俺とお前のことに気づいてんだろうなとは思ってたけど、やっぱりな」



 いつから気づいて――。



 心臓の音が頭に響く。

 うるさい。

 同時に、背中に汗が滲み、インナーが湿っていくのがわかった。

 掌にも。

 なのに、寒い。

「お前でも、そんな泣きそうな顔すんだな」

「……え?」

「有川の前では、悪女じゃないのな」

「……」

「有川も言ってたろ? 過去はどうでもいいんだ。これからのお前が誰と一緒に居たいのか、よく考えろ」

「課長……」

「いや、違うな。相川は考えるな。感じろ。幸せを感じるのは、どんな時か」



 幸せなんて――。



「恐怖を感じる時は?」



 そんなこと――。



「過去を知られて青ざめているのはどうしてだ?」

 うまく呼吸が出来ない。

 今日は色んなことがあり過ぎて、頭の中がぐちゃぐちゃで。

 亘との再会、仕事、長谷部課長との過去。

 比呂に、知られたくなかった。



 比呂にだけは――――!



「大河内との再会は、お前が過去と向き合って、未来に進むための試練かもな」

「――あの男との再会に意味なんてないっ!」

 そう言い放つと同時に、比呂が飛び込んで来た。

「千尋に何をした!!」

 比呂が鬼のような形相で課長に詰め寄る。

 咄嗟に課長は両手を頭の横に上げた。

「何もしてねーよ」

「じゃあ、なんで千尋が泣いてるんだ!」



 え……?



 言われてようやく、二人の姿が滲んで見えることに気づいた。

 慌てて涙を拭う。

「やめて、比呂。課長は何もしてない」

 震える声で、それを悟られないようにゆっくりと言った。

「帰ろう、比呂」

 早く、比呂に抱き締めてもらいたかった。
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