CROSS LOVELESS〜冷たい結婚とあたたかいあなた

「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は 見ずや 君が袖振る」

マリン夫人に好きな歌を訊ねられ、迷わずこの歌を選んだ。

「ファンタスティック! 万葉集ね。わたしの大好きな額田王(ぬかたのおおきみ)の御歌だわ」

マリン夫人は日本語を流暢に話されただけでなく、詠み手までご存知とは、と驚いた。

「額田王をご存知でしたか」
「ええ。日本の古代史も好きなの。額田王は2人の王に愛されながら、力強くしなやかに生きた一流の女性。わたしの憧れなの…一番好きな歌は
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな…ね。戦地に挑む力強いおおらかさが彼女にピッタリよね」
「はい。私も、額田王が好きです。運命に翻弄されながら、自分の足で立ち素敵な女性ですよね。マリン夫人も和歌に造詣が深く驚きました」
「ありがとう。昔日本のペンフレンドが万葉集を贈ってくれてね。それからハマったの」

マリン夫人はとても上機嫌。私でもどうにか沢村の外交に役に立ちそうでほっとした。

「こんなに楽しく和歌の話ができたのは久しぶりだわ。ね、薫さんが良ければメール友達になってくださらない?まだまだ色んなお話がしてみたいわ」

突然の申し出に、びっくりしてすぐに反応出来なかったけれど。「だめかしら?」というマリン夫人の残念そうな顔で、慌てて首を横に振った。

「い、いいえ…わ、私でも良ければ…よろしくお願い申し上げます」
「いやね、そんな固くならないで。私も新しいお友達ができて嬉しいわ。よろしくね、薫」

にっこり笑ったマリン夫人は、なぜか顔を寄せてひそひそ話をしてきた。

「……それにしても、薫。意味深ね。あかねさす…を好きなんて。道ならぬ恋でもしてるのかしら?」
「え…」

彼女の指摘に、なぜか胸がドキッと鳴った。

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