天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 私は何も言わずにその場を去った。
 彼の冷たい瞳に、なぜかズキッと一瞬胸が痛んだ気がしたけれど、私はその感情をなかったことにする。
 この家に、私の味方はいない。戦うのなら、ひとりでだ。こんな風に冷たくされた方が、こっちだって戦いやすい。
 そうして、私は全てのいびりに耐えて何とか女中の期間を終えたのだった。

 朝の六時に起床した。女中の仕事をしていたときはもっと早起きだったので、寝坊したのかと朝はドキッとした。
 歯を磨いて顔を洗い、タオルで水分を拭き取る。
 鏡に映った自分は、いつもよりもスッキリとした顔をしていた。
「お疲れさま、自分」
 さあ、今日からようやく本業に専念できる。二十歳になる娘さんたちのために、晴れ着をひと針ひと針丁寧に縫うと決めたのだ。
 洋服に着替えようと、古いタンスを開けると、妙に重さが軽く感じた。
 軽い力で開けられてしまった引き出しは私のお腹に直撃し、少しだけ体のバランスを崩す。
 なぜ……? 明らかに着物が消えている。
 瞬時に何かを悟った私は、全ての引き出しを上から順に勢いよく開けた。
「ない……」
 祖母が最後に縫ってくれた、観世水の柄の着物が、ない。
 今度は下から上に向けて再度確認をしたけれど、それでも見つからない。
 体から一気に空気が抜けたように、脱力していく。
 ぺたんと畳に座り込み、私は茫然自失した。
「嘘だ……」
 あれだけは、絶対に手放したくないものだったのに。
 ショックを受けながらも、心当たりのある出来事がふと浮かんできた。
 そういえば――、昨日、部屋の掃除は自分ですると言ったのに、数人の女中に「もうあなたは奥方様ですから」と押し切られ、部屋の中に入られてしまったのだ。
 疑いたくないけれど、もしかしたら……。
 私はすぐに立ち上がり、食事を用意している厨房へと向かった。
「あの、私の着物を知っている方はいませんか」
 この屋敷の中に、勝手にタンスをいじった人間がいるのは事実だ。
 まずは疑わしい女中たちに問いかけると、彼女たちはクスクスと笑い出した。
 どこか違う場所に隠しているだけということを切に願う。
「もしかして、あの古びた着物のことですか? 旦那様が新しい着物を用意すると言っていたので、タンスを空けておきました」
「空けたというのは……?」
「処分させて頂きました」
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