天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 そう言い聞かせてどうにか気持ちを抑えようとしたけれど、心と体がうまくリンクしない。
 今日は優弦さんは会食で遅くなると言っていたから、良かった。
 こんなに泣きはらした顔でもし鉢合わせてしまったら、驚かれるだろうから。
 暗い部屋の中でひとり、私は障子の隙間から見える月を見上げた。
 私以外にも、こんな風にバース性で差別をされ悲しい思いをした人は、たくさんいるんだろう。
 どうして、こんなにくだらないカテゴライズをされなければならないのだ。
 ただ、私は、真剣に着物と向き合いたいだけなのに。どうして……。
 まずい。また、悔しさで涙が滲んできてしまった。
 私は涙が流れないように、再び月を見上げる。
 ……その時、月の前に突然黒いシルエットが現れて、私は「え」と声を漏らした。
 そこには、血相を変えた様子の、スーツ姿の優弦さんがいた。
 彼は戸惑う私など全く関係なしに障子を開け、私の部屋に勢いよく入ってきた。
「え、優弦さん……?」
「世莉っ」
 切実な声で名を呼ばれ、そして強く抱きしめられた。
 今、何が起こっているの……?
 状況が把握できないまま、優弦さんはまるで壊れ物を抱きしめるように私のことを優しく包みこんでいる。
 すぐに体を押し返そうとするも、ビクともしない。
「か、会食はどうしたんですか……?」
「欠席した。話は全部長野本人から聞いた」
「え……」
「すまない。こんなことになるなんて……」
 ぎゅうっと、痛いほど私を抱きしめる力を強める優弦さん。
 まさか、私の話を聞いて駆け付けてくれたのだろうか。
 優弦さんの気持ちがひしひしと伝わってきて、反射的に自分の瞳から涙がこぼれ落ちてしまった。
「いえ……、やはり私には荷が重い仕事でしたので、断ってきたまでです。せっかくの機会を、申し訳ございません……」
「謝る必要なんてない」
 精一杯の強がりで言葉を絞り出すも、優弦さんには何もかも見透かされている。強めに言葉を返されて、私はぐっと涙を堪えた。
 彼の体温に包まれて、どうしてこんなにも切なくなるのか。泣きたくなるのか。
 世界で一番憎い人に、子供のように甘えてしまいたいと思っているなんて、矛盾している。
 だけど、この体温を今は手放したくないと感じている。
「世莉。君は素晴らしい仕事をした。そんな君を逃した制作班は哀れだ」
「うっ……、うぅ……っ」
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