天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 そして、男性患者の手術は無事終わり、命の別状はないと分かった。
 予想通り、この患者は相良家の大事な得意先の社長で、アルファ型。病院に運ばれた原因は、泥酔して二階から落下したから。
 父親は心底安堵した様子で、手術を終えるとすぐに帰宅していった。
 俺はすぐに梅さんの元へ行こうとしたけれど、すでに亡くなったと看護師から知らされ、その場に崩れ落ちた。
 もし、あのときすぐに手術室に入れていれば……。
 人が足りていて、十分な処置がすぐにできていれば……。
 波のように後悔が襲ってくる。世莉さんの慟哭する声が頭の中に響いて、離れない。
 彼女のたったひとりの家族が、もうこの世からいなくなってしまった。
 梅さんの元へ今すぐ行きたいと思ったけれど、いったいどの面を下げて会えばいいのか分からない。
 俺はふらふらと事務室に戻り、自分の席に座ると、ダン‼と思い切りデスクを叩いた。
 そして、声を押し殺して涙を流した。
「くそっ……」
――こっちが先だ‼
 なぜだ。なぜ、あんなことが言えた。ほかの患者の前で。
 もしかしたら父親は、梅さんだったことすら把握していなかったのかもしれない。
 それほどに、自分のことしか……アルファの人間のことしか考えていない様子だった。
 業火のごとく怒りの炎が胸の中で燃えている。
 俺は、目の前にあった父親の本を手に取り、びりびりに中身を破り捨てた。
「クソッ……」 
 こんなものがあるから。こんな、腐った考えがあるから。
 悲しむ人が増えた。傷つく人も増えた。救えない人が出てしまった。
 ふざけるな。こんなことが、あっていいわけがない。
 俺はさっき、父親の指示を無視してでも、梅さんのそばにいるべきではなかったのか。
 無力な自分に、一番、腹が立つ。
「変えてやる……」
 俺は、くしゃくしゃに丸めた紙を握りしめながら、ひとりつぶやいた。
 絶対に、変えてやる。この腐った病院も、この世にある差別的考えも、全て。
 そのためなら、俺は何を犠牲にしたっていい。
 そう、強く強く胸に誓ったのだった。
 俺はこの日のことを、絶対、死ぬまで忘れないと。


 
 ひどく魘されて、目が覚めた。
 ハッとして目を開くと、いつもと変わらぬ天井の風景が目の前に広がっている。
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