15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
「苦手なんだよ。甘えたり、弱音吐いたりするの」
知ってる。
正確には、苦手なんじゃなくて、嫌なんだと思っていたけれど。
「寂しいとか、構って欲しいとか、格好悪い気が……して」
「本当は思ってた?」
「……多分」
「多分、なの?」
夫が視線を逸らし、窓の外を見た。私の手を握ったまま。
「すぐに……由輝ができたから」
甘えたくても甘えられなかった……?
初めての妊娠の時、神経質になったのは私より和輝だった。
何かあってはいけないと過保護になり、かと思えば、距離を取ったり。
つわりも軽く、吐き気より食い気で健診の度に体重が増え過ぎだと言われた私は、出産の時にようやく妊娠と出産の大変さを思い知った。
出産予定日を二日過ぎた健診日で、由輝は既に推定体重が三千三百グラム。あまりのんびりしていると出産が大変だと、私は体を動かすように言われた。
当時は実家に帰っていて、まだ生きていた犬の散歩なんかをした。
和輝からは毎日、朝昼晩と電話がきていた。
予定日を五日過ぎて、ようやく陣痛が始まり、私は丸一日苦しみ抜いて、由輝を産んだ。
体重は三千五百六十グラムだった。
あの日から、怒涛の子育てが始まった。
和輝には申し訳ないが、確かにあの頃の私には夫を気遣う余裕などなかった。
それでも、由輝が一歳を過ぎた頃から、セックスを再開した。ひと月に一度くらいだったけれど。
話し合ったわけではないけれど、和輝は避妊しなかったし、私もそれを拒まなかったから、そう長くかからずに和葉を妊娠した。
それから、完全にレスだ。
「ごめん……ね」
「ん?」と、和輝が私を見た。
「三人目……の話」
「……ああ」
和葉が三歳になった頃、和輝に聞かれたことがある。
三人目が欲しいか、と。
私は、「考えられない」と言った。
その頃の由輝は幼稚園に通っていたのだが、とにかく人見知りで泣き虫で、ママっ子だった。ちょうど和葉のトイレトレーニングもしていて、私は疲弊しきっていた。
今ならば、もっと違う言葉を選ぶべきだったとわかる。
だって、きっとあれは和輝からの『お誘い』だった。
「素直に、俺も構って欲しいって……言えば良かったんだよな」
言われても、受け入れられたかはわからない。
それでも、少しは夫婦のスキンシップを持てるように心がけられたかもしれない。
三十代の男性に、十年以上も禁欲させていたなんて、普通に妻失格だ。
それなのに、今になって触れてもらえないといじけるなんて、勝手すぎる。
軽く自己嫌悪に陥りそうになった時、ふと思った。
「浮気……したことある?」
「は……あ?」
夫が目を丸くして、心の底から耳を疑うように、間抜けな声を出した。
「だって、十年……以上も、そういうのないの……って、男の人は無理なんじゃないのかな……と」