原田くんの赤信号
『君は今から交通事故にあいます』と言われて、事故にあう人はいない。なぜならば、物すごく注意しながら道を歩くから。

 この考え方にシフトすることで、わたしは最初の一歩を踏み出せた。
 霧のような雨粒は全身に降りかかるけれど、気にはならなかった。

 福井くんの家からまずは、駅までの道を行く。電車に乗ってしまえば、事故に遭遇する可能性はぐんと低くなる。

 自宅最寄り駅の改札を出て、二個の信号機を慎重に超える。そこから真っ直ぐ進むと最後にひとつ、家のすぐ傍に横断歩道がある。

 大丈夫、わたしは死なない。前後左右きちんとチェックしながら道を行くから、事故になんてあわないんだ。

 ドクドクとうるさい胸に手をあてて、鉛のような唾を飲み込んだ。

 大丈夫大丈夫。ほら、一個目の信号機だって難なく渡れた。あっちもこっちもルールを守る車ばかり。そんな中、誰がわたしをひくっていうのだ。誰もわたしをひいたりしない。

 今日も平和だ。そしてきっと明日も、平和で間違いないでしょ。

 そんなことを考え気持ちを落ち着かせながら、二つ目の横断歩道は歯を食いしばって渡り終えた。

 最後の信号機まで来たところで、縮こまっていた背中は伸びる。

「はぁーっ!あとちょっとっ!」

 雨はまだ細かく降る。けれどわたしの心には晴れ間が見えた。

 あとひとつ。あとひとつの信号機を渡れば、家に着く。
 そしたらお母さんには「ただいま」を言って、「お昼ご飯食べたいな」なんていつもと変わらない会話をするんだ。
「明日は良い天気らしいよ」と、未来の話も教えてあげよう。

 わたしは一度大きく深呼吸をすると、自宅に向かい、歩みを進めた。

 原田くん。明日も必ずあなたに会えるよ。ううん、絶対に会いに行く。

 一歩、二歩と、着実に家へと近づいていく、そのはずだった。


「逃げろぉぉお!!」

 どこからかそんな声がしたのは、それからすぐのこと。

「危ない!逃げるんだ!逃げろぉお!」

 振り向けばそこには五十代くらいの男性の姿。彼は車道とわたしを交互に見ながら、叫んでいた。
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