フラれた後輩くんに、結婚してから再会しました

 彼は昨日の会話などなかったかのように、ビジネスマンらしいしっかりした声で挨拶してきた。濡れた髪から滴を落として、バスタオルで身体を巻いているだけのわたしは、慌てて胸元をぎゅっと上げる。別に見られているわけではないのに、妙に恥ずかしくて、気圧されるように返事した。

「グループのメッセージ、ご覧になりましたか? 演奏会のことですが」
「え、ええ。さっき、起きたところで……。見たばかりです。あの、わたしは」

参加は遠慮したいと伝えるつもりで、口を開いた。やっぱり、とてもじゃないけれどそんな気分になれない。ホテルのチェックアウトは十一時だ。

(そこから、家に帰るのかどうかさえ決めていないのに、演奏会っていうのはちょっと……)

『ぜひ、参加して頂きたいんです。急遽決まったので、来られる人が限られていて……内輪のことですが奏者の方たちに申し訳なくて』

彼は困ったように告げる。連絡したはいいものの、みな黒田さんに行けないと個別にメッセージをしているのだそうだ。焦った黒田店長がオーナーに泣きつき、一人ずつ直接誘いをかけているらしい。

「でも、わたしは……」
『お願いします。ご用事がなければぜひ』

わたしは椅子に引っ掛けたカーディガンを見た。
「で、でも、いま出先ですし、着ていく服もないので」

早口で思わず言ってしまってから、しまったと口を塞いだ。

『あれ、起きたばかりで、もう出かけているってことですか?』

電話の向こうで、くすりとちいさな笑い声が聞こえた。
「昨日、嘘、ついたの? 先輩」
「あの、いや、っその……」

……結局わたしは、演奏会に出席することになった。
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