旅先恋愛~一夜の秘め事~
具体的に聞かれ、さらには書いてほしいと頼まれた。

彼に渡されたペンを受け取り、テーブルに置いてあった紙ナフキンにマークを描く。

学生時代に授業課題で作成したもので、名前などを書きにくい際に今も時折利用している。


「……花か……花弁が一枚ハート型になっているんだな」


食い入るように見つめられ、少々居心地が悪い。


「落書きみたいなものですが……」


「いや、上手だ。これはずっと使っているのか?」


「そうですね、かれこれ八年くらいは」


「……そうか」


そう言ったきり、黙り込んだ彼に私は声をかけるタイミングを失う。

五分ほどのち、椿森副社長が口を開いた。


「感想はぜひ参考にさせてもらう。助かったよ」


「いえ、私のほうこそ美味しいケーキをありがとうございます」


「――唯花」


突然、名前を呼び捨てにされ鼓動がひとつ大きな音を立てた。


「俺の名前をきちんと呼んでくれないか?」


「え……」


「唯花に俺の本名を呼んでほしい」


真摯な口調で強い希望を伝えられ、瞬きを繰り返す。


「どうして……?」


私たちは親しい間柄ではないし、立場だって違う。

親会社の副社長を名前で呼ぶなんてありえない。


「“さとる”ではなく“きょう”と唯花に呼ばれたいから」


そう言って妖艶な眼差しを向けてくる。

頬にかかる髪をそっと梳き、手の甲で軽く頬を撫でられる。

一瞬の仕草に体中に甘い痺れがはしった。
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