旅先恋愛~一夜の秘め事~
今までとは趣向の違う罠かと考え、咄嗟に偽名を使用した俺の読みは完全に外れていた。


翌日ホテルで迷う彼女に再会し、頬が緩むのを抑えられなかった。

再びの道案内は拒まれ、食事をともにしようとするとあからさまに逃げようとする。

強引に触れようとすれば猫のように警戒する。

わかりやすすぎる態度に興味をもち、彼女についてもっと知りたくなった。


芳賀家の縁者だというのに、彼女は一向に自分を売り込もうとしなかった。

このホテルに宿泊している本当の理由を聞いたときは、呆気にとられた。

同時におかしさがこみ上げ、久々に腹の底から笑った。


俺がずいぶん昔にどこかへ置き忘れてしまったありのままの気持ちを、彼女は自然に引き出す。

気がつけばどんどん惹かれていく想いを止められなくなっていた。

出会ってまだ数日しか経っていないのが信じられない。


ずっと捜していた女性に似た雰囲気に戸惑う俺に、彼女は自ら答えをくれた。

旅先だからと割り切って、俺に気を許している可能性もある。

芳賀家の娘とは親友だというし、俺の知らない事情があるのかもしれない。

きちんと段階を踏んで、大切にしたいと考えていた。

だが彼女の休暇が終わってしまう焦りと募る気持ちに箍が外れた。

常に冷静沈着だと言われてきた自分とは思えない行動に呆れてしまう。



彼女の目が覚めたらきちんと想いを告げたい。

俺の本心はある程度伝わっていると思うが、誤解をされたくないし、お互いに知らぬ部分を埋めたい。


さらさらと指の隙間から零れ落ちる髪の感触にたかぶった気持ちが凪いでいく。


「……おやすみ」


小さくつぶやいて、温かな彼女の体をもう一度抱えなおした。
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