わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
7.愛の定義
「……おまえは、もう少し周りに頼ることを覚えた方が良い」
呆れた表情でそう口にするのは、所長だった。
彼はわたしの手を握りつつ、魔力を送り込んでくれている。ここ最近、あまり眠れていないこと、身体の調子が悪いことがバレてしまったのだ。
医療に携わる魔術師がこんな状態ではいけない――――そんなわけで、半ば強制的に治療を施されている。
「申し訳ございません」
面目ないことこの上なかった。
体調管理ぐらい、自分でできて当たり前だって分かっている。だけど、自分の不調の原因が何処から来るのか、どうしたら良いのか、どうしても分からずにいた。
「ご主人は? 心配してくれないのか?」
「……いいえ。心配してくれますし、とても大事にしてくれています」
あの日以降も、ヴェルナーとの関係は変わっていない。
彼は毎日『愛している』と言葉にし、わたしのことを抱き締めてくれる。何かあったのか、事情を聞こうとだってしてくれた。
だけど、イゾルデさまのことを打ち明けることは出来なかった。
ヴェルナーは優しいから、わたしを傷つけたくないのだろう。それだけが、わたしと彼との関係を保っている唯一の鎖だ。
だけど、わたしが事情を把握しているのだと知れば、その鎖は簡単に壊せる。罪悪感を抱えつつも、ヴェルナーはイゾルデさまの元へ行ってしまうだろう。そう思うと、胸の内を打ち明けることは出来なかった。
「――――あの患者の担当は変更する」
「え?」
「領主の娘だ。金輪際、あの患者は別の魔術師に任せること。
何を言われたのかは知らないが、お前の様子がおかしくなるのは、決まってあの女を診た後だ」
所長はキッパリとそう口にし、向かいの席から立ち上がる。
さすがは所長、身体が随分と楽になっているのが分かった。短時間なのに、しっかりと治療効果が出ている。
「……ですが、所長。イゾルデさまからは『わたしが良い』と名指しをされていまして」
「分かっている。これは俺の決定だ。お前が気にする必要はない。
それから、たとえ診療所以外で話し掛けられたとしても関わり合わない方が良い。分かったな?」
ポン、と頭を撫でられ、わたしは小さく頷く。心まで軽くなった心地がして、思わずため息が漏れた。
***
だけど、それから数日後のこと。
「アルマさん」
仕事を終えたわたしを待っていたのは、イゾルデさまだった。
酷く思い詰めた表情でこちらを見つめながら、彼女はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「少し……お話をさせていただけませんか?」
「えっ? だけどわたしは…………」
既に担当が変わったことは伝えてあるし、所長から、イゾルデさまとは関わらないよう釘を刺されている。事情をハッキリと伝えるわけにもいかず、思わず口ごもってしまった。
「どうしても――――二人きりで、お話をさせていただきたいのです」
そう言って彼女は、背後に停まった馬車を指さす。意思の強い瞳。一歩も譲る気が無いようだ。断り切れず、わたしはイゾルデさまと一緒に馬車に乗った。
(話って一体なんだろう……?)
胸がザワザワと騒いでいる。だけど、こちらから話を切り出すわけにもいかず、せり上げてくる唾を呑み込み続ける。
しばしの沈黙。ややしてイゾルデさまは、徐に口を開いた。
「アルマさん――――あなたが……ヴェルナーさまの奥様だったのですのね」
その瞬間、ドクンと音を立てて心臓が跳ねた。
「あ……」
ベタベタとした嫌な汗が流れ落ち、寒くも無いのに身体が震える。何か言わなきゃって思うのに、言葉が思うように出てこなかった。
「ごめんなさい。そうとも知らず、これまでずっと、わたくし達の話を聞かせてしまいました。お辛かったでしょう? ご主人のことをこんな形で聞かされるなんて」
「いえ、そんな…………」
イゾルデさまは眉を寄せ、わたしの手を優しく握る。それから、カタカタと震えた指先を温める様に、ゆっくりと力を込めた。
「アルマさんには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。何度謝っても足りない……そのことは重々承知しています。
だけどわたくしはこれ以上、ヴェルナーさまが苦しんでいるのを見たくないのです」
そう言ってイゾルデさまは頭を振る。美しい瞳に涙が浮かんでいるのが見て取れた。
「愛とは、己よりも相手を大切に思うこと。
ヴェルナーさまはわたくしと共にある幸せを願っています。己の実力が認められ、引き立てられることも。
……ですから、アルマさん。もしもあなたがヴェルナーさまを愛しているなら、彼の願いを叶えてあげてくれませんか?」
「…………えっ?」
あまりにも真剣なその眼差しに息を呑む。
わたしがこれまで『彼と別れた方が良いんじゃないか』って思ったことは事実だ。けれど、こうして当事者から同じことを言われてしまうと、何とも言えない気分になる。
「あなたが彼と別れれば、わたくしの不調だって、きっと良くなります。
あなたは魔術師。わたくしを治せないことをずっと気に病んでいましたね?」
「それは……そうなのですが」
彼女の不調の原因が、わたしであることは、最早疑いようのない事実だ。魔術師として、不調の原因を取り除くべきだってことも分かっている。
(だけど……)
「だったら、迷うことは無いでしょう? あなたが居なくなれば皆が幸せになれる――――そうは思いませんか?」
イゾルデさまはそう言って美しく微笑む。わたしは言葉が出なかった。
「ああ、先のことは心配しないで? 家も仕事も、わたくしが手配を致します。しっかりとした金銭的援助もお約束しましょう。アルマさんは身一つで、家を出て下さればそれで構いませんわ」
ズキン、ズキンと胸が痛む。
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
『もしもあなたが、ヴェルナーさまを愛しているなら――――』
(わたしはヴェルナーのことを……)
コクリと小さく頷くと、イゾルデさまは口の端を僅かに上げた。
呆れた表情でそう口にするのは、所長だった。
彼はわたしの手を握りつつ、魔力を送り込んでくれている。ここ最近、あまり眠れていないこと、身体の調子が悪いことがバレてしまったのだ。
医療に携わる魔術師がこんな状態ではいけない――――そんなわけで、半ば強制的に治療を施されている。
「申し訳ございません」
面目ないことこの上なかった。
体調管理ぐらい、自分でできて当たり前だって分かっている。だけど、自分の不調の原因が何処から来るのか、どうしたら良いのか、どうしても分からずにいた。
「ご主人は? 心配してくれないのか?」
「……いいえ。心配してくれますし、とても大事にしてくれています」
あの日以降も、ヴェルナーとの関係は変わっていない。
彼は毎日『愛している』と言葉にし、わたしのことを抱き締めてくれる。何かあったのか、事情を聞こうとだってしてくれた。
だけど、イゾルデさまのことを打ち明けることは出来なかった。
ヴェルナーは優しいから、わたしを傷つけたくないのだろう。それだけが、わたしと彼との関係を保っている唯一の鎖だ。
だけど、わたしが事情を把握しているのだと知れば、その鎖は簡単に壊せる。罪悪感を抱えつつも、ヴェルナーはイゾルデさまの元へ行ってしまうだろう。そう思うと、胸の内を打ち明けることは出来なかった。
「――――あの患者の担当は変更する」
「え?」
「領主の娘だ。金輪際、あの患者は別の魔術師に任せること。
何を言われたのかは知らないが、お前の様子がおかしくなるのは、決まってあの女を診た後だ」
所長はキッパリとそう口にし、向かいの席から立ち上がる。
さすがは所長、身体が随分と楽になっているのが分かった。短時間なのに、しっかりと治療効果が出ている。
「……ですが、所長。イゾルデさまからは『わたしが良い』と名指しをされていまして」
「分かっている。これは俺の決定だ。お前が気にする必要はない。
それから、たとえ診療所以外で話し掛けられたとしても関わり合わない方が良い。分かったな?」
ポン、と頭を撫でられ、わたしは小さく頷く。心まで軽くなった心地がして、思わずため息が漏れた。
***
だけど、それから数日後のこと。
「アルマさん」
仕事を終えたわたしを待っていたのは、イゾルデさまだった。
酷く思い詰めた表情でこちらを見つめながら、彼女はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「少し……お話をさせていただけませんか?」
「えっ? だけどわたしは…………」
既に担当が変わったことは伝えてあるし、所長から、イゾルデさまとは関わらないよう釘を刺されている。事情をハッキリと伝えるわけにもいかず、思わず口ごもってしまった。
「どうしても――――二人きりで、お話をさせていただきたいのです」
そう言って彼女は、背後に停まった馬車を指さす。意思の強い瞳。一歩も譲る気が無いようだ。断り切れず、わたしはイゾルデさまと一緒に馬車に乗った。
(話って一体なんだろう……?)
胸がザワザワと騒いでいる。だけど、こちらから話を切り出すわけにもいかず、せり上げてくる唾を呑み込み続ける。
しばしの沈黙。ややしてイゾルデさまは、徐に口を開いた。
「アルマさん――――あなたが……ヴェルナーさまの奥様だったのですのね」
その瞬間、ドクンと音を立てて心臓が跳ねた。
「あ……」
ベタベタとした嫌な汗が流れ落ち、寒くも無いのに身体が震える。何か言わなきゃって思うのに、言葉が思うように出てこなかった。
「ごめんなさい。そうとも知らず、これまでずっと、わたくし達の話を聞かせてしまいました。お辛かったでしょう? ご主人のことをこんな形で聞かされるなんて」
「いえ、そんな…………」
イゾルデさまは眉を寄せ、わたしの手を優しく握る。それから、カタカタと震えた指先を温める様に、ゆっくりと力を込めた。
「アルマさんには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。何度謝っても足りない……そのことは重々承知しています。
だけどわたくしはこれ以上、ヴェルナーさまが苦しんでいるのを見たくないのです」
そう言ってイゾルデさまは頭を振る。美しい瞳に涙が浮かんでいるのが見て取れた。
「愛とは、己よりも相手を大切に思うこと。
ヴェルナーさまはわたくしと共にある幸せを願っています。己の実力が認められ、引き立てられることも。
……ですから、アルマさん。もしもあなたがヴェルナーさまを愛しているなら、彼の願いを叶えてあげてくれませんか?」
「…………えっ?」
あまりにも真剣なその眼差しに息を呑む。
わたしがこれまで『彼と別れた方が良いんじゃないか』って思ったことは事実だ。けれど、こうして当事者から同じことを言われてしまうと、何とも言えない気分になる。
「あなたが彼と別れれば、わたくしの不調だって、きっと良くなります。
あなたは魔術師。わたくしを治せないことをずっと気に病んでいましたね?」
「それは……そうなのですが」
彼女の不調の原因が、わたしであることは、最早疑いようのない事実だ。魔術師として、不調の原因を取り除くべきだってことも分かっている。
(だけど……)
「だったら、迷うことは無いでしょう? あなたが居なくなれば皆が幸せになれる――――そうは思いませんか?」
イゾルデさまはそう言って美しく微笑む。わたしは言葉が出なかった。
「ああ、先のことは心配しないで? 家も仕事も、わたくしが手配を致します。しっかりとした金銭的援助もお約束しましょう。アルマさんは身一つで、家を出て下さればそれで構いませんわ」
ズキン、ズキンと胸が痛む。
『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
『もしもあなたが、ヴェルナーさまを愛しているなら――――』
(わたしはヴェルナーのことを……)
コクリと小さく頷くと、イゾルデさまは口の端を僅かに上げた。