合意的不倫関係のススメ
蒼の帰宅時間丁度に夕飯ができ、部屋に食欲を刺激する山椒の香りが漂う。

「今日麻婆豆腐?」
「うんと辛いのにしたの」
「やった。ビールビール」

彼からコートを受け取ると、ひんやりと冷たい。気付かれないよう無意識に鼻を近づけてしまうのは、自分ではどうしようもできなかった。

「お疲れーっ」

奮発して買った薄吹きのビアタンブラー。それをかちんと合わせ、同じタイミングで喉に流し込む。

「ああ最高だぁ」
「ホント沁みるねぇ」

こっちも今日は、普段よりいい豆腐を購入した。豆板醤と山椒を効かせた麻婆豆腐は喉をぐさぐさと刺激して、ビールとの相性も抜群だった。

「はい、これも食べて」
「ありがと」

中華サラダや蛸のマリネを皿によそいながら、私達は今日あった出来事を報告しあった。何となく、花井さんの話題は避けた。

「明日蒼休みだよね?何するの?」
「まだ決めてない。何しよう」
「映画でも行ってきたら?」

蒼が休みで私が出勤の日は、あれこれ頼まなくてもしてほしい家事を全てやってくれるからとても楽だ。

料理は苦手だからしないけど、適当な惣菜を買っておいてくれるから問題ない。共働きで子供もいない私達は、生活にもそれなりに余裕があった。

「一人で行ってもつまんないよ」

それは彼にとって、何気ない会話。

けれど私にとっては、心臓を揺さぶる一言。

つまらないと、そう言われることは。

(私に言ったわけじゃない、大丈夫)

笑顔で会話を続けながら、半ば無意識に肩に力が入る。

《《あれ》》からもうすぐ三年、もしかしてそろそろ…

「じゃあ、私の仕事が終わったら一緒に行く?映画」
「いいねそれ、行こう」

手に持ったタンブラーを楽しげに揺らす彼を見て、私は内心安堵の溜息を吐く。

それからのビールは、やけに苦く感じた。
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