合意的不倫関係のススメ
「ねぇ三笹さんってさ」

この人の見透かすような瞳が、昔から好きではなかった。

「何で蒼さんには、あんな遠慮してるの?」
「…別にしていません」
「付き合いも含めるとかなり長いんでしょ?そうは見えないくらい、気遣ってるように見えたけど」

私の意識はその言葉に支配され、周囲の喧騒も聞こえなくなる。目の前のこの男にはきっと、私の動揺も何もかもお見通しなのだろう。

(女には困ってないくせに)

この限られた環境の中でさえ、一度でいいから彼に抱かれたいと思う女性がどれだけいるか。同期の夫婦にちょっかいをかける程暇ならば、そんな人達の相手でもしてあげればいいのに、なんて。そんな不躾なことを考えてしまう自分も、同じくらい嫌いだ。

結局この感情は、ただの八つ当たりなのだから。

「仮にそうだとしても、私達はそれで上手くいっていますから」
「どっちかの我慢の上に成り立つ関係なんて、いつか崩れると思うよ」
「大丈夫です。私と彼は簡単に崩れたりしません」

普段はここまで足を踏み入れてくるとこなどないのに。そんなにも私達は、不自然な夫婦に見えたのだろうか。

いや、そんな筈ない。私と蒼は、愛し合っているのだ。夫婦の間でそれよりも大切なことなんて、ない。

「もしかして、夫が花井さんの味方をしたように見えたんですか?だったら誤解です。彼は私を守る為に、あの場を諌めただけですから」
「そんなの分かってる。でもそれを冷静に判断してあんな風に出来るなんて、普通は妻が気になって無理だよね」
「すいません、何が言いたいんですか?」

どうしてだろう。好かれようとも思わないからか、二條さんの前では自分を取り繕えない。ポーカーフェイスは得意なつもりなのに、嫌悪感を隠せなかった。

「俺自分が何で三笹さんのこと気になるのか、ようやく理解した」
「はぁ?」
「君がずーっと、ぎりぎりのところで綱渡りしてるからだ」

(頭おかしいんじゃないの)

そう言いたくなるのを、ぐっと堪える。彼は愉快そうに喉を鳴らしながら、掌をひらりと私に向けた。

「中断させてごめんね。どうぞ、食べて食べて」

もう、答える必要はないということだろうか。私は苦虫を噛み潰したような表情のまま、玉子焼きを箸で摘んだ。

瞬間、彼がぐっと私の手ごと箸を掴む。そのまま身を乗り出し、玉子焼きを口に放り込んだ。

「ちょ…っ、何して」
「ん。やっぱ美味い」

数度咀嚼を繰り返した後、舌を僅かに覗かせ口の端をぺろりと舐めた。

「隅っこに座ってると、何かと便利だよね」
「…っ」
「ハハッ、そんな顔初めて見た」

満足したのか二條さんは立ち上がり、ビニール袋から何かを取り出し私の前のテーブルにことりと置いた。

「ご馳走様、三笹さん」

ひらひらと手を振りながら去っていくその背中を、見送りたくもない。目の前に置かれたプリンを、まるで何かの仇のように睨みつけた。
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