黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
 すやすやと規則正しい寝息が聞こえる。ユヅキの傷口も表面上は塞がりつつあった。つがいである俺と、この森の魔力によってかなり回復したようだ。

「ユヅキ……」

 彼女の無事を確認して、俺は胸をなでおろした。
 そこで「ひゅー、ひゅー」と声が聞こえ、俺は声のする方へと視線を向ける。大樹の下、間合いの外にトーヤが座り込んでいた。今の記憶を俺に見せるため、だいぶ魔力を消費したようで顔色も悪く、唇は紫色に変わっていた。
 もう長くはないだろう。
 激昂していた感情も今は、少し落ち着いている。トーヤの記憶を覗いたからだろうか。呼吸するのも苦しげで、苦悶に満ちた顔で彼は顔を上げた。声など出せる状態ではないだろうに、それでも唇を震わせて言葉を紡ぐ。

「前帝、答えを聞こう。それでも君は……結月の傍に……居られるか? あの子の……悲しみを背負えるか? 守って……生きていけるか? あの子を」

 彼の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

「幸せにできるか?」

『刀夜が怖いのは、自分の命すら作戦の勘定に入れていないところなの。放っておいたら、危なっかしいのよ』

 前にユヅキがトーヤのことを語った言葉を思い出す。
 確かにその通りだ。この男は自分の目的の為なら、自分自身を駒にして見事に使い捨てて見せたのだ。
 全てはこの男が仕組んだ茶番劇。この国を立ち上げたのも、全てたった一人、ユヅキの為に用意したのだから。
 龍神族と人間が暮らせる国ではなく、ユヅキの暮らし易い国を作ったのだ。
 どうかしている。確かに龍神族は愚かなほど一途で、純粋過ぎる種族なのかもしれない。

「答えろ。……陽善の子孫」
「問われるまでもない。俺はユヅキと一緒に幸せになる」
「幸せになる、か。……なら、その約束を……忘れるな……よ」
「ああ。魂に誓おう」
「それなら、おとなしく……死んでやる」

 トーヤは空に浮かぶ月を見上げた。太陽の日差しによって、薄らと存在感が薄らいでいく月。近いようで遠い。
 彼は愚かだと分かっていても、その手を月に伸ばす。

「陽善……。君との……やく……そく……を──まも……」

 憎たらしいほど満足そうな顔で──逝った。


 ***


 魔物の襲撃から数日の間、城砦は慌ただしかった。驚いたことに婚約者候補の半分が魔王討伐の為に編成させられた構成員だったことだ。宰相のギルバートは「あれ? 言っていませんでしったっけ?」と悪びれもなく言い放った時は、流石に腹立たしかった。だがあの援軍が無ければ、俺たちは生きていなかっただろう。

 キャロルの本職は宰相のギルバートの護衛者で、クリスティは皇国魔物殲滅特殊部隊の一人だったそうだ。
 今回の依頼内容は現皇帝の勅命。これも後で書状を見せてもらったので、間違いないだろう。正直、クリスティこそ黒幕ではないかと勘繰ったが、彼女は現皇帝に片思中だとか。わかりたくもなかったが向こうから一方的に語り出したのだから、やはりこの女は好きになれない。

 ちなみに俺へのアピール、高飛車や悪態も全ては世間の目を欺くため悪女役をこなしていると言う、どうでもいい情報をこれもまた勝手に喋っていた。
 残る二人の候補者たち レイエス公爵のアネット、グティレス伯爵家のカーラ。両家は前々から「魔物の王」を復活させるため、一族ぐるみで画策していたそうだ。彼女たちを唆したのもトーヤ本人だという証言が取れた。

 魔物の王に封印が解かれた理由。「同胞であるユヅキが下界に降りてきたことで、その存在に感化して封印を破った」とギルバートと提出するらしい。正確には「求婚印を通して、ユヅキの魔力を奪い続けて力を得たため」だろう。
 だがこの真実は明かされることはない。ユヅキを守るための処置だ。無論あの怪物がなんだったのかも公開されることはない──永遠に。

 十年前。
 大規模な魔物の侵攻があった際、魔物を統率していた者はいたかもしれないが、俺は最前線で戦っていたので情報は降りてこなかった。もしかしたら当時からギルバートや弟が秘密裏に動いていたのかもしれない。ギルバートが皇国魔物殲滅特殊部隊に所属していたのなら、あり得るだろう。俺が皇帝だった時は本当に数年だったし、体質もあり政務関係は次期皇帝として推薦した弟が担っていた。
 俺が国にいや政治に関してさほど興味はなかったのも大きいだろう。
 その結果が、これだ。
 もし皇帝だった頃に、俺がもっと自分自身で何かを変えようとしていたら、この結末も少しは変わっていたかもしれない。
 もしも、の話を考えるなどらしくないだろう。だが、そんなネガティブな考えになるのには理由がある。

 ユヅキが一向に目を醒さないのだ。
 ずっと眠り続けている彼女を見ていると、後悔と不安が押し寄せる。


 ***


「ユヅキ」
「…………」

 ユヅキは数日経った今も眠り続けている。
 漆黒に濡れたような髪、白い角は縮んで髪の毛で殆ど見えなくなった。けれど彼女が俺を選んだという証は胸元に残っている。蓮と双剣の紋様の刻龍印。
 彼女が俺を《つがい》として認めたことを意味する。それが嬉しくて、嬉しいはずなのに、眠り続ける姿を見るたびに胸が痛んだ。

「ユヅキ。寝すぎじゃないのか? 本当にお前は焦らすのがうまくなったな」

 愛おしい想い人の頬にそっと唇を寄せた。
 彼女のぬくもりは心地よい。今にも目を覚ましそうなのに、目蓋は閉じたままだ。何が足りないのだろうか。
 それとも、もうこのまま目を開かないのか──。

「……駄目」
「!?」

 ユヅキは切なく呟いた。
 俺はすぐさま彼女の手を掴む。目が覚めたと思ったが、うわ言のように呟いているだけだ。

「逝っちゃ……だめ」
「大丈夫だ、俺はここにいる」

 出来るだけ優しく彼女に答えるが、もしそれが俺ではなくトーヤに向けられたものだとしたら、お前は俺を許さないだろうか。
 同胞を葬った男を。
 恨まれてもいい、だから目を覚ましてくれ。

「ユヅキ、愛している」

 切に願う。
 生まれて初めて天上にいる神々に祈る。
 けれどそれから三日経っても彼女は眠ったままだ。
 城砦の処理などもあり、出来るだけユヅキの傍を離れなかった。だが流石に疲れもあり、風呂と着替えのため少しの間、彼女から離れた。
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