エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
笹原が最後の患者の診察を終えていたと笹原が言っていたので、碧はもう診察室にいないかもしれない。
けれどせっかく来たのだからと思い、珠希は最奥の第5診察室に向かった。
患者や看護師達とぶつからないよう気をつけながら、珠希はドキドキしながら歩を進める。
第5診察室まで二十メートルほどの場所に着いたとき、淡いベージュの扉が目に入った。

「どうしよう……」

引き戸の扉は閉じられていて、中に碧がいるのかどうかわからない。
まさか患者でもない自分が診察室を覗くわけにもいかず、今さらながら困ってしまった。
離れた場所から扉を見つめ、やっぱりこのまま引き返そうかと考えていた、そのとき。
ひとりの女性が第5診察室の前に駆け込んできて、勢いよく扉をノックし始めた。
周囲から視線が注がれ、不安げに距離を取る人の姿も見える。

「え……あの人……」

珠希は言葉をのみ込み、激しくノックを続けている女性を凝視する。
長身でスタイルがよく、ショートヘア。
そして彼女が着ているオレンジ色のコートには、見覚えがある。

「紗雪さん……?」

珠希はハッとし手で口を覆う。
そこに立っているのは間違いなく紗雪だ。
厳しい表情の中にも色香が漂う横顔には見覚えがあり、とても美しい。
どうして彼女がここにいるのだろう。
珠希はその場に立ち尽くす。
すでに午前診は終わっていて、彼女が患者である可能性は低い。

「まさか……」

紗雪は碧に会いにここまで来たのだろうか。
その思いつきに、珠希は顔をゆがめた。
けれど、と即座に思い直す。
碧は紗雪との間に特別な関係はないと、きっぱり言っていた。
碧の言葉に嘘はないはずだと信じつつも、珠希の心臓はばくばくと大きな音を立てて、不安を煽る。
それほど今の紗雪は切迫していて、珠希を弱気にさせるのだ。
紗雪はノックの合間に何度か扉を開けようとするが、施錠されていて動かない。
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