エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
すると彼女が扉を叩く音がいっそう大きくなり、いよいよなにかがおかしいと周囲がざわめき始めたとき。
がむしゃらに扉を叩いていた紗雪が、ぱたりと動きを止めた。
珠希は息を詰めて成り行きを見守った。
ほの暗い思いが胸に広がり、心臓の動きはさらに加速する。
悪い予感を打ち消すように、珠希が無意識に両手を胸の前で握りしめたと同時に、静まりかえっていた待合に、カチャリと音が響いた。
閉ざされていた診察室の扉がゆっくりと開き、中から白衣の男性が姿を現した。
碧だ。
珠希は息を止め、大きく顔をゆがめた。
はっきりと表情は読めないが、覇気のない佇まいは疲れているように見える。

「碧さん……」

あまりの驚きに呼吸はままならず、ひどく息苦しい。
珠希は覚束ない足取りで近くの長椅子に歩み寄ると、力なく腰を下ろした。
碧たちは珠希に気づくことなく顔を見合わせ、小声で言葉を交わしている。
気が置けない間柄だと、遠目からでもわかってしまう。
おまけに碧は紗雪を目の前にしても冷静で、顔色ひとつ変わっていない。
それは、紗雪が今日ここに来ることを知っていたからだとしか思えない。
ふたりの間に割り入る自分が想像できず、珠希は目眩を覚えた。
そのとき紗雪がふらりと身体を揺らし、碧の胸に飛びこんだ。すぐさま碧を抱きしめ、決して離さないとばかりにしがみついている。

「……っ」

目の前で起きていることが信じられず、珠希の口から声にならない声が漏れる。
碧は珠希の口からこぼれた悲痛な声を拾うことなく紗雪を受け止めると、いたわるように肩を抱いて、揃って診察室の中へと消えて行く。
見たくないのにふたりから視線を逸らせない。
碧は絶望的な思いでふたりを眺めていた。
理性に逆らい感情を優先して碧に会いに来た自分が、惨めに思える。
出会ってから一カ月程度の自分では、学生時代の多くを共有していた紗雪には敵わないのかもしれない。
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