エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
今日はこのまま直帰していいと上司に言われているが、一応電話を入れておこうとコートのポケットに手を差し入れた。

「あれ?」

スマホ以外のなにかが指先に触れ、取り出した。
それは珠希自身の名刺で、裏には名前と電話番号が書かれている。
『俺の連絡先。遥香ちゃんのことでなにかあればいつでもどうぞ』
宗崎がそう言って書いてくれたのだ。宗崎は遥香にとってエレクトーンはリハビリになり、現在学校にも通えていない彼女のいい気分転換になると考えているようだった。
宗崎の色気のある低い声を思い出し、珠希の頬がほんのり赤くなる。
おまけに男性の連絡先を知ることなど滅多にないせいか、手の中の名前と電話番号がひどく特別なものに思える。
宗崎碧。
五年前祖父の主治医だった笹原と同じ脳外科医だ。
彼も笹原を目標にして白石病院で働いているのかもしれない。
だとすれば、かなりの倍率をくぐり抜けて選ばれた優秀な医師に違いない。
『脳外科医を志す者の多くが、いつか自分がこの病気の治療法を見つけたいと考えています』
五年前に笹原が口にした言葉を思い出す。
当時、祖父の病名をネットで調べたが、完治はほぼ絶望的だった。
再発した場合、再度の手術に踏み切る例は少なく緩和ケアへとシフトすることが多いとあった。
おまけに再発後の余命はわずか。
珠希は調べれば調べるほど祖父との時間に限りがある現実を思い知らされるようで耐えきれず、早々に病気について調べることをやめてしまった。
祖父が亡くなった後はなおさらだ。
病名すら思い出さないよう心を閉じ、闘病中の祖父の姿を心の奥底におしやった。
五年前に祖父が完治できなかったあの病気は、今は標準治療が確立されたのだろうか。
珠希は名刺をポケットにしまいながら、そうであればいいのにと思う。
笹原の下で働いている宗崎も、そう思っているに違いない。
それこそ珠希以上に。




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