エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
完治の見込みが限りなく少なく、脳外科医の多くが治療法を見つけたいと願っているほどの難しい病気。
その事実を告げる笹原は悔しそうに顔を歪め、珠希や家族に深々と頭を下げていた。
脳外科の権威で世界的に知られた名医である笹原のその姿は、珠希の医師への印象を大きく変えた。大げさに言えば、患者より優位に立ち、患者やその家族にも高飛車な態度で接する。
医師に対するそんなイメージを、笹原は一瞬で払拭したのだ。
碧が笹原を目標にし慕うのは当然かもしれないと、珠希は納得する。

「そのきっかけが」

ふとつぶやいた碧の声に、珠希は俯いていた顔を上げた。

「きっかけ?」
「いや、なんでもない。ただ……」

一瞬、碧は意味ありげに口角を上げ、再び口を開いた。

「以前、笹原先生と患者さんのご家族とのやり取りを傍らで見る機会があったんだ。そのとき、先生の医師としての技術だけでなく人としての矜持みたいなもの、それも盗みたくなった。だけど、いずれ実家の病院に戻る俺にはそのための十分な時間があるとは思えなくて、自分の生まれに初めて絶望したよ」
「……そういうことなら、わかる気がします」

碧の思いに触れ、珠希は過去の自分を思い出す。
珠希も似た立場だったのだ。
和合製薬の後継者候補のひとりとして悩み、未来を具体的に描けずにいた。
本音では音楽の世界で生きていきたいが、和合家には和合製薬を発展させていく義務がある。
そこから逃げ出すわけにはかないと、何度も自分に言い聞かせていた。
だから碧が口にした思いを、似た立場に生まれた珠希は容易に理解できるのだ。

「いつか、笹原先生のような素晴らしい脳外科医になれるといいですね」

祖父の闘病を通じて知った笹原の素晴らしい人間性を思い出し、珠希は優しい笑みを浮かべた。

「だけど私から見れば、宗崎さんは今でも立派なお医者さまですよ。遥香ちゃんもきっとそう思ってます」
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