エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
気づけば珠希と碧は、ほぼゼロの距離で見つめ合っている。
瞬きすらためらう近すぎる距離に、珠希は目眩を覚えた。

「珠希」
「え……」

混乱する珠希を、碧は落ち着いた声で呼び捨てた。
その声音の優しさが、珠希の心にじわり広がっていく。
やがて碧は珠希の頬を包んでいた手をわずかにずらすと、親指で珠希の目尻に残るまだ乾ききらない涙を丁寧に拭い取り、満足そうな笑みを浮かべた。

「食事の後で言うつもりだったのに、いきなり涙を見せられて……かわいい顔で泣かれたら、我慢できない」

初めて聞く碧の色気を感じさせる声に、珠希の背中に鋭い刺激が走る。
背中だけでなく、全身が碧の声と熱い視線に反応している。
自分の身体なのに自分でコントロールできない。
初めて知る感覚に、珠希は動揺する。

「珠希」
「……はい」

意味ありげに呼び捨てられて、珠希の心臓はきゅっと小さくなる。
一瞬息も止まってかなり苦しい。

「この先、俺以外の誰にも珠希の泣き顔を見せたくないな」

見せるもなにも、わざわざ珠希の泣き顔を見たいと思う人がいるとは思えない。
碧の言葉の真意がつかめず、珠希はうつむいていた顔を上げた。

「それって、あの、どういう意味ですか?」

碧はきょとんとする珠希の顔を碧はしばらくの間見つめていたが、やがて天井を見上げ、ため息を吐きだした。

「その顔も、他で見せてほしくない」

碧はぶっきらぼうにつぶやいて、お互いの額と額をこつんと合わせた。
これでふたりの距離はいよいよゼロだ。
唐突に額に与えられた心地よい痛み、そして頬を包み込む碧の手の温かさ。
珠希の身体が一気に熱を帯びた。

「意味なら、簡単だ」

碧は吐息交じりのかすれた声でささやいて、お互いの唇を重ねた。

「んっ……」

珠希は息を止め、目を見開いた。
碧の柔らかく熱い唇が、珠希の口を覆っている。


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