クレオ*̣̩エシス

ιστορία*.3─中編─




ホールの扉を開けると、病院の中とは思えないほど活発な雰囲気が溢れていた。


「すごいな。こんなに患者がいるのか」


予想外の人の多さに、深夜は瞬く。


「最近は減ってきたけど、前はもう少し頻繁に感染者が増えてたから……」


フードを深く被り、深夜の影に隠れている羽月が、おずおずと答える。
彼女もまた、この大人数に困惑していた。


「大丈夫か……?」


心配そうに細められた瞳が、羽月を映す。
だが、羽月は困惑しながらも、意思は固いようだ。
しっかりと深夜を見返し、深く頷いた。


「深夜くーん!」


ホールの奥──ピアノがある方から、幽見の声が投げられた。
幽見特有のよく通る声は、ホールのざわめきをいとも容易く通り過ぎ、自然に深夜の耳に届く。


「ちょっと来てくれるー?」


その言葉に、深夜は一瞬迷ってしまった。
ピアノの周りには、たくさんの人が集まっている。
その中に、羽月を連れていくのは───


「羽月は…───」


なんと言えばいいか分からず、曖昧な問いだったが、羽月には伝わったようだった。


「ここで待ってる。行ってきて」


やはり1人取り残されるのは怖いのか、ぎこちなく笑みを形作った唇が、僅かに震えている。
その事に気がついてしまった深夜は、思わず羽月の頭を撫でる。
驚いて羽月は深夜を見やると、彼女よりも不安そうな顔をしていた。


「なんかあったら迷わず呼べよ」


揺れる双眸が羽月を映す。
だが羽月は、彼が本当に自分を気にかけてくれていることを実感し、少し嬉しくなったのだった。


「うん。ありがと」


「じゃあ、行ってくる」


駆け足で幽見の元に向かった深夜を見送り、羽月は目立たないホールの隅に避難する。
他人の事が知りたいとは思うが、まだあの大衆の中に飛び込むような勇気はない。
今は、眺めるだけで充分だ。

どうやら、深夜はあのピアノの持ち主の人に呼ばれたようで、何時ぞやのような外行きの笑みを貼り付けて対応していた。


「やっぱり、すごいなぁ」


そんな深夜を見ていたら、思わず言葉が零れた。
自分は見た目のことがなかったとしても、きっとあんな風には対応できない。
やはり彼は少し大人なのだと実感してしまう。


私は、そんな彼の横に立つ資格があるのだろうか。


そんな疑問が頭を掠めた時だった。




「あぁっ!お前、〚101号室の怨霊〛!」




子供特有のキンキンした声が、羽月の鼓膜をふるわせた。
慌てて目線を下げると、5・6歳くらいの男の子が、羽月を指さしていた。


───101号室の怨霊……?


初めて聞く自分の呼び名に、軽く眉を潜める。
確かに前の病室はS101号室だったが、いつからそんな異名が付いたのだろうか。


「えぇっ!?こいつがー!?」


「でも、顔隠しててわかんないぜ?」


「───っ…!」


この流れはまずい。
慌ててフードをさらに下ろそうと手を伸ばすが


「顔を見せろーっ!」


子供の方が、少しだけ早かった。
羽織っていただけのパーカーは、するりと羽月の肩から流れ落ち、子供の手に収まった。
フードが取れたことにより、羽月の白髪が風に舞う。

一瞬の静寂の後、ホールが先程とは違う雰囲気をまとってざわめき出す。


「うわぁ!本物だー!」

「隠したって、俺たちの目は誤魔化せないぜー!?」


そんな子供たちを前にして、まず羽月の頭に浮かんできたのは──。


──パーカー取り戻さなくちゃ……!


自分の髪のことより、彼女の中には深夜が貸してくれた物が取られてしまったという焦りの方が先に現れた。


「か、返してっ……!」


焦って零れた声は、羽月にしては大声で、その事に羽月自身も驚いた。
そんな中、羽月の前に1人の男の子が仁王立ちで進み出てきた。
その瞳には、悔しさなのか憎しみなのか、そういった負の感情が渦巻いていて。


「お前の…っ、お前のせいだ……!」


思いがけない言葉に、羽月の中に溢れていた焦りが消える。
それと同時に出てきたのは不安。
一体この子は、なんの話しをしているのだろうか。


「どういうこと───」


「しらばっくれんなよ!みんな知ってるんだ!お前に会ったやつは、みんなモリンシの症状が悪化するんだ!」


怒鳴るような言葉は、なかなか頭に入ってこなくて、理解するのに時間がかかった。


「しゅうちゃんも、かずきも……みんなお前に会った後に症状が悪化してるって、医者から言われたんだ!」


ガツンと、頭を殴られたような衝撃が羽月を襲う。

勿論、羽月自身にそんな力はない。
偶然か、この子供たちの気持ちの問題だろう。
しかし、羽月にとってこの言葉は、過去を思い起こさせるのに充分すぎるトリガーだった。


「私の、せい……?」


「そうだ!お前のせいだ!」
「みんなに呪いをかけてんだろ!」


男の子の主張に便乗するように、周りの子供たちも口々に羽月を責める。

次々に紡ぎ出される言葉は、ナイフのように羽月の心を傷つけていく。
悪夢のように繰り返される怒声が、頭の中をぐるぐると周り、段々と意識が朦朧としていった。
そんな言葉を聞いていたくなくて、思わず耳を塞ごうとして。


『────羽月』


羽月の頭の中で、深夜が呼ぶ声がした。

羽月は静かに息を飲む。
あれだけ羽月を苛んでいた声が、少し遠くなった気がした。


──そうだ。ここで逃げたら、今までと同じ。


深く深呼吸をして、羽月は未だ声を上げ続けている子供たちを見る。

大丈夫だ。今は、1人じゃない。


「私は、怨霊なんかじゃ、ない」


たどたどしく発せられた言葉は、子供たちにも届いたようで、一瞬場に静寂がよぎる。


「私には、呪いなんてかけられない」


その発言が、この場でどれくらい意味を持つかは分からないが、ここで言い返さなければ、また過去のような過ちを繰り返してしまうかもしれない。
震える足に無理やり力を入れる。


「う、嘘だ!だってみんな───」


「嘘じゃない。私にそんな力なんて無い!」


1度言葉を発してしまえば、それまで感じていた緊張は消えていく。


「でも……でもっ!悪化したやつはいるんだ!!」


それでもまだ引き下がらない男の子に、羽月はどうしたものかと、言葉を失っていると。




「いい加減になさい!!」




ホールいっぱいに響くような、怒声であるが、どこか透き通っていて不快にならない声が、羽月と男の子の間の空気を貫いた。

驚いて、一同はその声の主を見る。

背丈は羽月より、少しだけ高いくらいだろうか。
キッとつり上がった猫のような目に、ハーフアップツインテール。そこに着いているリボンが可愛らしい少女が、子供たちを睨みつけていた。


「な、何だよお前!俺達の問題に口挟むなよ!」


「俺達?明らかに外野が混じっていますけれど」


少女の言葉に、取り巻いている半分くらいの人が、彼女のオーラに気圧され1歩下がる。


「なっ……!お前ら…っ」


少なくなった人数に、おもわずたじろつく男の子。
少女はそんな彼らを軽蔑の目で見る。


「1人じゃなにも出来ないくせに、こんなか弱い女の子を、寄ってたかっていじめて。恥ずかしくないのかしら」


「こ、こいつが悪いんだ!こいつがみんなに呪いを……!!」


「先程から聞いていれば、呪いだの怨霊だの。人にそんな力があるわけないでしょう」


「だけどみんな…っ!」


「いい加減、現実を受け入れなさい!」


思わず対象でない羽月でさえも震える怒声に、子供たちの大半は恐怖に涙をうかべた。


「それじゃあ言わせていただきますけれど、私(わたくし)はこの方にあったその日に、症状が回復してると伝えられましたわ」


「なっ───!?」


自分の主張とは正反対の意見に、男の子は声を上げる。


「デタラメだ!」


「デタラメじゃありませんわ」


「そんなの……っそんなの偶然だろ!」


「────えぇ。そうでしょうね」


驚きで、男の子の威勢が消える。
まさか自分の言葉が受け入れられるとは思っていなかったのであろう。


「でもそれって、あなたの主張と何が違うのかしら」


場に静寂が過ぎる。
少女が提示した正論に、誰も反論できない。
男の子は暫く少女の真っ直ぐな眼差しを見返していたが、やがて悔しそうにパーカーを少女に投げつけると、走って行ってしまった。

投げつけられたパーカーを難なく受け止めた少女は、深くため息を着くと、パーカーの皺を叩いて直し、羽月を振り返った。


「貴方、大丈夫?怪我とかしていませんこと?」


先程とは打って変わって優しい声色に、羽月は目を丸くする。
人間こんなに変わるものなのか。


「だ、大丈夫…です」


「それなら安心いたしましたわ。これ貴方のでしょう?」


丁寧にパーカーを手渡し、少女は羽月に微笑みかける。


「あまり気にしない方がよろしいですわよ。あんなのただの子供の、それこそデタラメでしかないのだから」


同じくらいの歳とは思えない達観した意見に、羽月ただ驚くことしか出来ない。
だが、まだお礼を言っていなかったことを思い出し、慌てて頭を下げた。


「あっ助けてくれて、ありがとうございます」


「別に、お礼を言われることはしていませんわ。私、嫌いですのよ、ああいう先入観だけで物事を決めつける方。だから言い返しただけですもの」


所々お嬢様言葉が見え隠れすることから、彼女の育ちの良さが伺える。
まだまだ世界は広いのだと、羽月は実感した。


「私は橙雨花姫。貴方お名前は?」


「美冷、羽月です」


「はづきって言うのね。葉っぱに月かしら?」


「ううん。えっと……羽に、月」


「まぁ…!素敵なお名前ね。ねぇ、もし良かったら私の病室に来ませんこと?私一人部屋だから退屈してたんですの」


「え、っと……」


次々に投げかけられる問いに、答えるのがやっとな羽月。
だが、ここで彼の存在を思い出す。


「実は、一緒に来てる人がいて……」


ふっと羽月は深夜を探す。

一方、一部始終を『返して』の辺りから、飛び出そうとしたのを幽見に止められていた深夜は、子供達がいなくなったのを確認し、ほっと息を着く。

何度か、その子供に殴りかかりそうなほど怒りが溢れかけたが、思いもよらない乱入者のおかげで、何とか最悪の事態は免れたようだ。


「もう大丈夫そうね。行ってあげて」


深夜を止めるように前に出されていた手を下げ、幽見は深夜を促す。

その瞬間、深夜は羽月目掛けて走り出した。
一刻も早く、彼女の元へ戻りたかった。


「羽月っ……!!」


その声を聞き、駆け寄る深夜に気が付いた羽月は、パァっと顔を明るくした。

その表情の変化に、花姫は驚き目を見開く。
先程までオドオドしていた少女が、そこまで気を許せる相手なのかと、深夜を見定めるように眺めた。


「深夜っ……」


深夜の顔を見た事で気が抜けてしまったのか、泣きそうに顔を歪めた羽月を、深夜は優しく受け止めた。


「ごめん、助けに行けなくて」


「ううん。私は大丈夫。さっきだって、深夜のおかげで言い返せたんだよ」


「俺の……?」


先程の呼び声が現実のものでは無いとわかっている羽月は誤魔化すように微笑むと、花姫の方へ向き直った。


「それに、彼女が助けてくれたから」


2人の意識が自分に向き、つい会話を聞くのに夢中になっていた花姫は、ハッと我に返った。

深夜は、そうか。と短く呟くと、花姫に向かって深く頭を下げた。


「羽月を助けてくれて、本当にありがとう」


ただの人助けと思っていた花姫は、そのあまりの真剣さに困惑した。
羽月もそうだったが、ただ思ったことを言っただけで、これ程まで感謝されるとは思っていなかったのだ。


「えっと……さっきもお伝えしましたけれど、私はお礼を言われるようなことはしていませんわ」


「それでも、俺たちにとってはとても嬉しいことなんだ。だから、ありがとう」


「ありがとう……!」


深夜に次いで、羽月も頭を下げる。


「───こんなに心のこもったお礼は久しぶりだわ」


2人の心の暖かさを感じ、花姫は自然に頬を緩ませた。


「お2人とも、顔を上げてくださいまし」


花姫の言葉に、2人はゆっくりと顔を上げる。
その目に映ったのは、満面の笑みを浮かべた花姫の姿だった。


「こんな風に真摯にお礼を言って頂けて、私も嬉しいですわ。羽月を助けてよかった……!」


「羽月を助けてよかった」
今まで言われたことの無い言葉を投げかけられ、羽月は小さく息を飲む。
やっと自分の存在が他人に認められたようで。

羽月は瞳を潤ませ、微笑んだ。


「ねぇ、羽月の保護者さん」


一瞬誰を指しているのか分からなかったが、彼女の視線の先にいるのは自分なので、深夜は理解し苦笑する。


「深夜だ。紅深夜」


「紅……?」


花姫は眉を顰めると、「あのニュースの……」と口の中で呟いた。
当然2人にその声は聞こえない。


「えぇと、深夜ね。もし良かったら深夜も私の病室にいらっしゃらない?お2人なら歓迎いたしますわよ」


羽月が問うように深夜を見つめる。
羽月にとっては、他の人を知るいい機会になるだろう。ならば自分は────。


「俺は遠慮するよ。実はピアノの貸し出し人をほっぽり出して来ちゃったんだ。だから、2人で楽しんでくれ」


嬉しそうで、それでいて少し寂しそうな笑み。
いつも羽月を見守ってくれる深夜の顔だったが、何故だか羽月にはそう見えたのだった。


「そう、残念ですわね。では、羽月は借りていきますわ。行きましょう、羽月」


羽月の手を引き、花姫は歩き始める。
羽月は慌てて深夜を振り返ると


「ありがと、深夜!あと、パーカーまだ貸して……!」


嬉しそうにはにかんだ。

まさか、自分の気遣いに気づいていたのだろうか。
鈍感そうに見えて、実は侮れないなと深夜は謎の緊張感を感じた。


「いいよ、持ってて。楽しんでこい」


そんな彼女らを見送った深夜は、周りに誰もいなくなったホールの隅で、1人苦笑する。



「───ほんと、ガキかよ……」



───羽月を助けたのが俺じゃなかった、と




…………嫉妬するなんて。




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