クレオ*̣̩エシス

ιστορία*.4─序章─




「貴方、誰?」


病室に冷たい声が木霊する。
久しく向けられていなかった明確な敵意に、羽月は1歩後ずさる。
そのオーラは、ピリピリと空気を震わせ、皮膚がじわりと痛む気さえした。


「あら、黙り?答えられないのかしら」


羽月より背は少し低いが、イラついたように睨みつけたその姿には、花姫とは違う迫力があった。


「……美冷、羽月」


羽月の入院のきっかけとなった、いじめの主犯と同じオーラを感じ、なかなか答えられずにいた羽月だったが、彼女が引き下がる様子も無いので、途切れながらも名を名乗る。


「貴方、深夜くんとどういう関係なの?」


その問いに、無意識に息を飲む。
今自分が考えなければならない事にして、答えが見つからない疑問。
まさか、こんなに早く突きつけられるとは。


「友達、だけど……」


今はそれしか答えられず、しかしそれで終わらせたらいけない気がして、後には何も続かないが、続くようなニュアンスを出しておく。


「へぇ……?それなら、もう深夜くんには近付かないでくれる?」


深夜から離れ立ち上がりながら、視線は羽月から逸らさない。
いちいち言葉にトゲのある子だと、思っていた羽月は、次の彼女の言葉で、また言葉を失うことになる。




「私、深夜くんの恋人だから」




病室に沈黙が走る。


「は────」


小さく深夜は声を漏らすと


「はぁっ……!?」


あまり本心を表に出さない彼にしては本気の叫びを上げた。


「何驚いてるのよ、深夜くん。ずっと前からそうじゃない」


「ずっと前?いつの話だよ!俺はそんな話した覚えないぞ!?」


「昔、大きくなったら結婚しようって言ったじゃない。ってことは、その時からお付き合いは前提ってことでしょ?」


「理屈がおかしいし、俺はそんなこと言った覚えはない…!!」


ポンポンと交わされていく言葉に、羽月はついていけない。
自分の知らない深夜の過去。
それがあることが、羽月の心を暗くさせた。

しかし、羽月自身にもこのモヤの正体はわからなかった。


「取り消せよ……!」


深夜は深夜で、彼女の前で誤解を招くようなことを言いたくなくて、慌てて桃音に詰め寄る。

一気に近くなった距離に、羽月の中で何かが弾けた。


「あのっ…!」


羽月が口を挟んだことに驚く深夜と、せっかく接近されていたのに、邪魔されてしまったことに腹を立てた桃音が同時に振り向く。

羽月は、何か言いたいことがあった訳でもないのに口を開いてしまったことに、自分自身も驚いていた。
だが、口を挟んでしまったのなら、何か言わなければならない。


「その……嘘は、よくないと思う…」


咄嗟に口をついたのは、幼稚園児のような反論だった。
それは桃音も感じたようで、不快そうに眉を釣り上げる。


「嘘……?話聞いてた?私達は付き合ってるの」


「でも、深夜は違うって言ってる」


「そ、それは深夜くんが忘れてるからよ!思い出したらきっと───!」


深夜のことを出されたことで、少し動揺する桃音。
隣で深夜は、「言ってないからな!」と慌てて訂正する。


「それなら────」


2人が、傍から見れば仲睦まじく話しているように見えてしまい、羽月は負けじと口を開いた。


「私達は、これから2人で支え合っていこうって、誓った。あなたの理論でいけば、私達はこれからずっと一緒にいるってことになる」


「なっ……!?」


友達という言葉に完全に舐めていた桃音は、思ったより深い彼らの絆に、焦りを覚える。


「そ、そんなデタラメ────」


「あぁ。それは言ったな」


なんでもないふうに、あっけらかんと深夜が言い放つ。

自分の事は覚えていなかった癖に、羽月との事は覚えているという事実に、桃音はショックと怒りを覚えた。

そして怒りから、羽月の────否、彼の地雷を踏んでしまった。




「なんなの貴方!そんな気持ち悪い髪して!!」




桃音の甲高い叫びが、病室に響き渡る。
ここまで面と向かって拒絶されたことは無かった羽月は、驚きに目を見開く。
しかし、その真正面からの言葉は、逆に羽月を落ち着かせていた。
今日は花姫に助けて貰った為、そこまでのダメージを受けなかった羽月は、今度は自分で言い返さなければいけないと、口を開く。

その瞬間。

風のように速く深夜が動き、桃音の胸ぐらを掴んだ。


「きゃっ───!」


桃音が小さく悲鳴を上げる。
突然の事に驚いたのは羽月も同じで、慌てて深夜を見やる。

深夜は俯き、何かと戦っているように、口を開閉している。服を掴んだ手は震え、込み上げる怒りに耐えるように。


「───謝れ」


震える唇から、か細い声が紡ぎ出される。


「羽月に謝れ……桃音……!!」


顔を上げた深夜は、鋭い瞳で桃音を睨む。
その迫力に、桃音はビクリと肩を震わせた。

その様子に、羽月は少し遠い目をしていた。
今日羽月が絡まれた時、止めている幽見はどんなに大変だったのだろうか。

───後で謝りに行かなきゃ


「わ、私は…っ何も間違って────」


「────黙れ」


怯えながらも、深夜を睨み返しながら反論する桃音を、深夜は間髪与えず両断する。


「お前に羽月を蔑む資格なんて、ない……!」


力を込めた瞳が、桃音を映す。
今にも殴りかかられそうな、緊迫した雰囲気に、桃音が身を固くした時。


「────その子を離してあげて、深夜」


羽月の凛とした声が響いた。


「羽月……でもっ……」


辛そうに顔を歪めた深夜が反抗するが


「離しなさい、深夜」


羽月には珍しく強い口調で、深夜を制した。
その様子に、深夜は悔しそうに口を引き結ぶと、桃音を離した。

これで引き下がってくれなかったらどうしようかと不安だった羽月は、深夜が桃音を離した事で、ほっと息を着く。

桃音は、深夜に敵意を向けられた事が未だに信じられず、小さく首を振る。


「そんな……こんなの、嘘よ……」


ははっ、と小さく笑いを零しながら、桃音は顔を上げる。
その瞳はどこか遠いところを見ているようで、深夜を見てはいなかった。


「深夜くんは、きっとこの子に騙されてるのよ!だってそうでなきゃおかしいでしょ!?深夜くんが私よりこの子を優先するなんて……!」


どうして自分を選んでくれないのか。
自分の方が──自分の方が──。

桃音の頭の中は、もうぐしゃぐしゃだった。
久しぶりの再会、突然の拒絶、自分の知らない大切な人。


───深夜くんは、私のなのに……っ!


「深夜くんっ……!!」


「帰れ───」


悲鳴のような彼女の声は、低く呟かれた深夜の一言に貫かれた。

え、と桃音から乾いた声が漏れる。


「ここから、出ていけ」


キッ、と、見るからに憎悪の籠った目で深夜に睨まれ、桃音の瞳から涙が溢れる。
その涙を乱暴に拭いながら、桃音は悲しみや悔しみ、様々な感情を抱え、走り出した。


「痛っ……!」


正面の羽月を突き飛ばし、ドアを乱暴に開け、一凛の風を残して消えていった。


あれだけ騒がしかった病室に、静寂が生まれる。
お互い何も喋ることが出来ず、無言の時間が流れていく。
確かに深夜に聞きたいことは沢山あったが、いつも深夜は羽月の言いたくないことは、言いたくなるまで待ってくれる。
なので羽月も待つことにした。


「羽月……」


「うん」


掠れるような呼び声に、羽月は優しく頷く。


「傍に、来てくれないか」


羽月は目を見開く。
決して羽月に何かを求めたことの無い彼が、初めて吐いた弱音。

深夜が困ったことや、苦しいことがあると、笑って誤魔化すのは羽月も知っている。
けれど、今は笑っていない。

───信頼されてるって思って、いいのかな。


「わかった」


羽月はそっと深夜に近付く。
そして、丁度彼の目の前に来た時。


「────っ!」


突然、深夜に抱き締められた。

あまりにも唐突な事に、羽月は声も出せずただ目を見開く。

何度か抱き締められた事はあったが、それはあくまでその場の成り行きだった。
しかし今は違う。
紛れもない深夜の意思で起こした行動だった。


「───悪い、羽月。顔、見られたくなくて」


弱々しい深夜の声に、羽月の心がザワつく。
桃音という少女に会ってから、彼は羽月の知らない顔をしている。

それが少しだけ、悔しかった。


「いいよ。深夜がしたいようにして」


そっと羽月は背に手を回す。
優しく包み込むように回された手に、少しだけ心が落ち着いた深夜は、静かに深呼吸をすると、口を開いた。


「俺……悔しかったんだ」


「悔しかった……?」


思わぬ言葉に、羽月は思わず繰り返す。
一体何が悔しかったのだろうか。
検討が付かず、羽月は首を傾げた。


「あいつに、羽月は良い奴だ、って。見た目なんか気にならないくらい優しくて、強くて、すごいやつだって、言い返せなかった事が」


サッと羽月の頬に桃色が差す。
褒められなれていないため、ストレートに褒められると、どうしていいか分からない。
自分の過剰評価に羽月は「そんなこと……」と声を漏らす。


「いくら言ったって、言葉だけじゃ伝わらないんだ。それが悔しかった。伝わらないことも、咄嗟に言い返せなかった自分も」


深夜は、少しだけ抱きしめる力を強める。
それが彼の心境を、よく表していた。


「 私は深夜がいてくれるだけで充分だよ」


「……だから、これは俺の我儘なんだ」


あくまで引き下がらない深夜に、羽月は諭すように言葉を連ねた。


「深夜がいて、幽見さんがいて、これからは花もいる。深夜のおかげで、私は少しずつ前に進めてる」


「それは……。俺の功績じゃないよ」


「ううん。深夜に出会わなかったら、私は前のままだった。深夜が、今の私の存在意義なの。だから───」


そこで羽月は、言葉を切る。
いつもは否定的な自分を、深夜が励ましてくれる。
深夜のように、上手く言えないけれど。


───今度は、私が。




「だから、自分を責めないで」


そっと深夜の頭に触れる。
サラサラと指の間をすり抜ける髪は、羽月とは違う黒髪だ。
けれど、そんなことは関係ない。
それを教えてくれたのは、紛れもない彼なのだから。


「───っ。かっこ悪ぃな、俺」


顔は見えないが、苦笑しているのが雰囲気で感じられた。
どうして深夜はいつも、かっこいい・かっこ悪いを気にするのだろう。

──深夜はいつだってかっこいいのに。

羽月は不満そうに口を尖らせるが、それが男子特有の、『好きな女子の前ではカッコつけたい』という衝動だということを、彼女が知る術はない。


「ありがとう、落ち着いた」


ゆっくり腕を解くと、深夜は羽月から目を逸らす。
自分から抱きしめたのだが、やはりふと我に返ると恥ずかしさが込み上げてくる。
徐々に染まっていく頬を隠すように、深夜は腕で口元を覆った。


「───っと、ほんとにごめん。いきなり、その……抱きしめて……」


その深夜の照れた顔に、今更ながら、羽月は深夜に抱きしめられたのだと認識する。
その瞬間、鼓動が早くなり、慌てて顔を逸らした。
いきなりはやり出した鼓動に、羽月は戸惑いを隠せなかった。


「だ、大丈夫……」


なんだか気まずい雰囲気になってしまった病室。
時計の音だけが響き、重たい沈黙が流れた。


「えっ…と。やっぱり、気になってるよな。桃音の事」


漸く顔の赤みが引いた深夜は、恐る恐る羽月の顔を盗み見る。


「当たり前じゃない」


即答した羽月は、少し拗ねたように口を尖らせる。
しかし、ふと思い立ったように、ニヤリと口の端を上げた。


「あんな子────彼女、だっけ?」


「────っ違う!!」


慌てて否定した深夜は、勢い余って羽月の目の前に近付く。
数センチしかない距離に、2人の心臓が跳ねる。
目が合うが、逸らせない。不思議な距離。


「あ───っごめん………!」


先に我に返った深夜が、慌てたように離れる。
桃音が来てから、今までとは違う距離感に、2人は困惑していた。


「あんな子いるなんて……聞いてなかったし」


誰がいけないという訳でもないが、やはり自分が知らない事実があることが少しだけ悔しい。
どうしても深夜を責めるような口調になってしまい、羽月は目を伏せる。


「…ごめん」


「あっ……。違うの、深夜が悪いわけじゃ───」


「いや、俺が悪いのかも」


羽月に被せるように発せられた言葉に、「えっ」と声が零れる。


「実は……今日再会するまで、あいつのこと忘れてて……その…」


罰が悪そうに右側の髪をかきあげた深夜は、フッと目を逸らす。
一方羽月は、あんな推しの強い子をどうしたら忘れられるのかと、呆れで表情を無くしていた。

その様子を見て、深夜は慌てたように言い訳を付け足す。


「あ、いやっ、俺人覚え悪くて……!」


「へぇ……意外だな」


だいぶ表情を戻した羽月を見て、深夜はホッと息を着くと、表情を引き締めて口を開いた。


「じゃあ、話すよ。あいつのこと」


戻ってきた緊張感に、羽月も身を引き締める。
今から聞くのは、羽月の知らない深夜の過去。


「あいつは九重桃音。俺の住んでたマンションの近くに住んでた。確か俺たちの3つ下……まぁ、幼馴染みって言ったら幼馴染みだな」


「彼女、深夜のご両親の事は……」


「言ってはいない。でも、あんだけ騒ぎになったんだ。知らないわけない」


「そう、だよね…。それで、その……『大きくなったら結婚しよう』っていうのは……」


少しだけ答えを聞くのが怖くて、つい羽月は俯きがちになる。
結婚なんて、まだ自分には縁遠い話だと思っていたのに。まさかこんな形で話題になるとは。


「あぁ、それは───」


ふと深夜は気まずそうに苦笑する。


「俺も、あいつに言われてなんとなく思い出したんだけど……。昔──ちょうど俺が探偵ごっこっつーのかな。そういうちょっとした事件を、友達と解いて回ってた時期があって。そんとき桃音に、結婚してくれって言われて…。多分、勿論本気じゃなかったんだけど───」


妙に歯切れ悪くたどたどしい言葉を紡ぐ深夜に、羽月は怪訝そうな瞳を向ける。


「確か……『はいはい。お前が魅力的な大人になったら考えるよ』…って、言った、ような……」


徐々にしぼんでいく声に、羽月は小さくため息を着く。
内容は違えど、深夜は確かにそれらしき言葉は口に出していたのだ。

そのシチュエーションや熱意は全く違えど。


「け、けど!俺もそんときはそれどころじゃなかったし、適当に返しちゃった俺が、悪いと言われれば、悪いけど……」


後半はほぼ言い訳にすらなっていないが、徐々に失速していった深夜に、困ったように問いかける。


「でもあの子は、そうは思ってなかった。ってこと…だよね」


「あぁ。そう、みたいだな」


深夜も、自分の発した言葉に罪悪感を感じているのだろう。
普段より覇気のない受け答えに、羽月はどうしていいかわからず、ただ静かに深夜を見つめることしか出来なかった。

そんな羽月の困惑した視線に気が付いたのか、深夜はパッと表情を明るくすると、羽月の頭を優しく撫でた。


「心配かけて、悪い。けど、この件は俺が何とかするから大丈夫だ」


羽月を安心させるように、口元に笑みを浮かべる。
いつもの、磔の笑み。
やっと本心を見せてくれたかと思えば、すぐこれだ。


「人に心配かけないように、自分の本心を押し殺すの……。気持ちはよくわかるけど」


かつての自分を振り返り、その先に良い結果が待っている訳では無いのを知っている羽月だからこそ、説得力のある言葉。


「せめて私には……本心で話して欲しい」


その強い眼差しに、深夜は静かに息を飲む。
これだけはっきりものを言うようになった事が、羽月の成長をより一層際立てさせた。

その事実に、感動にも似た感覚が深夜を包んだ。

本当に、ここ数ヶ月の彼女の成長は目覚しい。


「ほんと、強くなったな。羽月」


それが、彼女と自分の距離を離しているようで、深夜は寂しかった。


「そう、かな。そうだったら、それはみんなのおかげだよ」


「そうか。……でも、この件は羽月の手を借りる訳には───」


「どうして……?」


受け入れて貰えない羽月は、段々と不安になっていく。深夜がこんなにも頑なになって羽月の助けを拒むのは何故だろう。


「友達、なのに……」


ふっと口をついた言葉。
その言葉に深夜は少しだけ悲しそうに、目を伏せた。


「友達、か」


思わぬニュアンスに、羽月の口から「え」と乾いた声が零れる。


「───違うの?」


そう問いかけた羽月の声は震えていた。


「いや……。俺にとって、羽月は友達じゃな────」


その瞬間、羽月は身を翻し走り出した。

自分の気持ちが整理出来ていなかった為、反応が遅れた深夜は、慌てて踏み出すが、羽月のスピードはいつもより数段早かった。


「まっ待て、羽月っ!」


呼び止めてみるも、病室を出ると既に羽月の姿はなかった。


「羽月、早すぎ……っ」


階段を覗いたり辺りを見回してみるが、どちらに行ったかは分からない。仕方なく深夜は病室へ引き返す。

何故いきなり走り出してしまったのか。

────俺はただ。


「お前は友達じゃなくて、大切な人だって」


────そう言いたかっただけなのに。




‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦




『俺にとって、羽月は友達じゃな────』


走る羽月の脳内で、深夜の言った言葉が渦を巻く。

友達じゃない。
それだけの言葉が、何故こんなにも悲しいのか。


──仲良く、友達になれたと思っていたのは、私だけだったんだ。


暫く走った所で、羽月は立ち止まる。
後ろを振り返り、深夜が追ってくる気配がないことを確認すると、膝を抱えしゃがみ込んだ。

唇が、肩が、足が、震える。
しかし涙は出てこない。
深夜にも拒絶され、死んでしまいたいと思うほど悲しいのに。

その理由は、羽月にも分かっていた。
いや、理解してしまったのだ。
自分の気持ちを。


「私、は……っ」


例え拒絶されても、想いがすれ違ってしまっても、心のどこかで、きっと彼なら──深夜なら、自分を見捨てないと『信じて』いるから。

そしてその信頼は、別の形になって、羽月の心を揺らしていた。


「私は……深夜の事が、好きなんだ……っ」


気がついてしまった気持ちは、羽月には到底抱えきれないものだった。




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