クレオ*̣̩エシス

ιστορία*.4─前編─




「あのさ、羽月────」


朝食後、タイミングを慎重に計って発した言葉。

それを聞いた羽月は慌てて立ち上がると、小さく「ご馳走様でした」と口早に言い、病室から姿を消した。

引き留めようと伸ばした手はしかし、虚しく宙を彷徨う。


「またダメか……」


困ったように、或いは悔しそうに、深夜は顔を顰めた。

あれから数日がたったが、未だに2人は話せていない。
その原因は羽月にある。

あれからというもの、羽月は朝食と夕食、そして就寝時しかこの病室に戻ってきていない。
どこに行っているのか大方想像出来る深夜は、特に心配はしていないが、先日の誤解が解けていない為、心の奥にずっとモヤが残ったままだった。


「今度はどうしたの?喧嘩って訳じゃ無さそうだけど」


その一部始終を見ていた幽見は、あくまで淡々と問い掛ける。
ただ、内心かなり心配しているのだが。


「……はい。俺が、避けられてるっていうか……」


言葉にしたことで、今までの倍ほどのダメージを受ける深夜。
はぁっ……っと、ため息を着く様を見て、幽見は困ったように口元に笑みを浮かべた。


「私今日、羽月ちゃんの診察まではフリーなのよね」


何故か得意気に告げられた言葉に、深夜は瞬く。
フリーということは、その時間までは暇という事だ。

つまり───


「悩みがあるなら聞くわよ。恋する少年」


食器を片付け終え、初めて3人で話した時のように、ローテーブルに肘をつき、幽見はニヤリと怪しげに笑う。


「なっ───しっ───!?」


“なんで知って”と言おうとするも、動揺から言葉が切れる。
深夜の瞳が驚愕に見開かれ、言葉を失っていることから、幽見の洞察力は深夜にも遅れをとらないものだと伺える。
まぁ、彼の場合はその優秀な思考回路を恋愛系にいかせていないだけかもしれないが。


「これでも私は2人の専属看護師よ?一応ここで何があったかは、大方把握してるわ」


あまりにさっぱり言い放たれた事でスルーしてしまいそうになるが、一体彼女はどこまで知っているのだろう。


「大方…ですか」


「えぇ。流石に貴方達の本心までは分からないけれど」


「それを除いて『大方』なら、俺たちがこうなっている経緯も知っているんですよね」


「そうね」


それなら話が早いです。と、深夜もいつものクッションに腰を下ろし、真剣な眼差しで幽見と視線を合わせる。


「どうして、こうなってしまったんでしょうか」


深夜の黒瞳が、窓からの光を通して淡いエメラルドグリーンに煌めく。


「単に、羽月の早とちりでしょうか。それだったら俺は、早く訂正した方がいいんでしょうか」


深夜の瞼が困惑したように伏せられ、光を遮る。
ただの早とちりなら、それでもいい。
だが、そうでなかった場合は。


「俺は…どうするのが正解なんでしょうね」


膝の上に置かれた拳が、固く握られる。

分からない。
恋愛をしたことが無いのは羽月だけでは無い。今まで、ある程度のことはそつなくこなせていたせいで、分からないことがあると、不安でいっぱいになる。


「────そう、ね」


暫く伏せ目で沈黙を守っていた幽見が、そっと口を開く。


「きっと……『正解』はないのよね」


視線を上げ、深夜の瞳を捉えた幽見の瞳は、いつもの彼女の暖かい太陽の様な明るさとは違う。
大人びた雰囲気を纏っており、その奥に潜む『後悔』の念を、深夜は直感的に感じ取っていた。


「きっと深夜君は正論を欲しがってるわけじゃないと思うけど、言わせてもらうわ。『正解』って一括りにしても、相手や自分、シチュエーションによって、掛けなきゃいけない言葉も、やらなきゃいけない行動も違うわよね」


幽見の言葉をただ黙って聞く深夜。
何も言わないのは、幽見なら何か決定的な一言をくれるだろうと信頼しているから。


「そういうのも全部含めて、正解を探して。でも結局最後は、“自分がどうしたいか”なのよね」


幽見の言葉に、深夜の心が少しだけ晴れたような気がした。

自分がどうしたいか。

深夜や羽月に足りない、自分の心を考えるという事。


「───少し、私の昔話をするわね」


思わぬ言葉に、深夜は目を見開く。
これまで1度も自分の事については話さなかった幽見が、初めて自分の過去の話をする。
それはとても貴重であると同時に、深夜が過去を話してもいいと思える程信頼されている証拠だった。


「私が、中高生くらいの頃かしら。そのくらいの時期に、大切な人を戦い───事件で失ったわ。失ったって言っても、死んでしまった訳じゃないの。ただ───目覚めないだけ」


突然の告白に、深夜は狼狽する。
色々聞きたいことはあったが、何よりも『大切な人を失った』という事が衝撃的だった。
いつも明るく、場の空気を一瞬で癒してくれる。
そんな彼女に、これ程辛い過去があった事が信じられなかった。


「その時私は、何も出来なかった。ただ守られてるだけで、あの人の影で怯えて。思い返してみれば、ずっとそうだった。私は一緒に戦っているつもりで、だけど……本当は違ってた」


自分の住んでいる世界とのズレを感じ、深夜は自分の状況と置き換えてみることにした。

もしも突然、羽月を失ってしまったら。
その時自分は何も出来ず、ただ羽月に守られていただけだったと知ったら。
自分はどうするだろうか。


────そんなの……っ


後悔しても、しきれないだろう。
もしかしたら、かつての羽月と同じように、生きる意味を見失っているかもしれない。


「大好きだった」


少し声のトーンを落として呟かれた言葉に、深夜は弾かれたように顔を上げる。

ずっと淡々と話していた幽見が、ここにきて初めて見せた強い後悔。


「失って、過去を振り返って。どれだけ自分が我儘であの人に迷惑をかけたか、思い知らされたわ。一緒にいる時は、『どっか行っちゃえばいいのに』って、思ってたのに。いなくなった途端、どうしようもなく怖くなった。私は、あの人がいないと何も出来ないことを知ったの」


幽見の瞳が潤む。
自分の奥に閉じ込めていた過去、そして本心。
シンヤ
きっと『彼』なら、この気持ちがわかると思った。
大切な母親を失った、深夜になら。


「だからこれは、人生の先輩からの助言───いえ、警告」


目付きを鋭くした幽見は、深夜が知っている“幽見李逢”ではなかった。
別の世界を生きる、他の誰か。




「行動を起こさないで後悔するのは、やめなさい」




スっと頭に響いた言葉。
そのワンフレーズに含まれた複雑な思いに、深夜は無意識に息を飲む。


「大切な人は、いつ・どこでいなくなるか、誰にも分からない。まだ大丈夫と思っていると、一瞬でいなくなるわ。だからお願い」


後悔だけは、しないで。


治療不可という病を抱えている彼らだからこそ、いつ何が起こるかわからない。
だから、せめて最後に。
心残りが無いように生きて欲しい。


自分は、何も出来ないから──。


幽見の瞳は悲しそうに細められ、笑みを象った口元からも切ない色が浮かぶ。


「幽見さん、貴方は一体────」


何者なんですか。

言いかけた言葉を、深夜は途中で飲み込む。
一体、自分がそれを聞いてなんになる。
彼女の悲しみを消すことが出来る訳でもない。

彼女は今まで隠していた過去を話してまで、深夜に助言をしてくれた。
それで充分ではないか。

だから、今自分が言うことは、それじゃない。


「──はい。心に刻んでおきます」


強く言い切られた言葉に、幽見の呼吸が一瞬止まる。しかし自分の言葉がちゃんと届いているのが分かり、安心に息を着いた。


「さて。柄にもなくしんみりしちゃったわね」


パンっと、空気を変えるように柏手を打ち、いつものような笑みを浮かべた幽見は立ち上がり、深夜を試すように見つめた。


「あとは、貴方次第よ。深夜くん」


その言葉に、グッと深夜の瞳に力が篭もる。

───あとは俺が、どうしたいか。


「───はい」


その返答に満足そうに頷くと、幽見は一言を残して去っていった。


「羽月ちゃん、帰ってくると思うから。その前に言いたい事纏めておきなさいよ」


幽見の姿が消えると、深夜は静かに息を吐く。
クーラーの効いた部屋で尚、額から汗が流れ落ちた。

幽見の本気に、ある種の身の危険を感じたのだ。


「本当に、何者なんだ」


呟いた深夜は、そういえばとふと思い立ち、首を傾げた。


「羽月が、帰ってくる……?」



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「それで、いつまで逃げてるおつもり?」


唐突に投げかけられた言葉に、羽月は肩を揺らす。

深夜から逃げてきた羽月は、花姫の部屋へと避難していた。
この数日間、何も言わずに過ごしていた花姫だったが、流石に潮時だと感じ、この話題を切り出したのだった。


「いつまで……」


羽月自身終わりの見えない逃走に、多大なる不安を感じていた。

友達では無いと言われ、自分の恋心に気づき、勢いに任せて飛び出してきてしまったのだ。
今更合わせる顔なんて、無い。

不安で今にも泣きそうに歪められた羽月の顔を見て、花姫は心配そうに声を掛ける。


「私でよければ、お話聞くわよ?」


「でも、どこから話せばいいのか……分からない」


これで花姫にも嫌われてしまったらと思うと、羽月は躊躇ってしまう。
その恐怖が、羽月を立ち止まらせていた。


「そんなの、いくらでも聞きますわ!」


はっきりと告げられた、肯定の言葉。
羽月は驚いて声を漏らす。


「え…───」


その様子に、花姫は少しだけ怒ったように羽月を見つめる。


「よろしくて。私達は友達でしょう?友達なら、相手が困っている時は助けてあげたいと思うもの。それだったらどれだけ長くても、纏まってなくても、最後まで聞きますわ。それであなたの気が、少しでも軽くなるのならね」


あまりにも真っ直ぐで、純粋な言葉。
それが偽善だとしても、花姫の口から紡ぎ出されるだけで、本心な気がしてしまうのは、何故だろうか。


「私は、貴方を拒絶したりしないわ」


力強い先程とは一転した優しい一言に、羽月は唇を噛み締める。
そうしていないと、嗚咽が零れてしまいそうで。


「深夜の…幼馴染みに、会って」


震える唇が、たどたどしく言葉を紡ぐ。


「その子は、深夜の事が、好きで…」


ズボンの裾を握り締め、必死に気持ちを抑えようとするが、その努力は実を結ばない。


「凄く……怖かった……っ」


ポロリと羽月の瞳から、涙が零れる。
それをきっかけに、羽月が心の中に溜め込んでいた気持ちが、一気に流れ出す。


「あの子は私の知らない深夜を知ってて、私に無いもの沢山持ってて……最近まで死のうとしてた私なんかじゃ…全然…っ、適わなくて……っ」


「───えぇ」


どれだけ抱え込んでいたのか、とめどなく涙を流す羽月に、花姫は優しく相槌を打つ。
反対側に座っている羽月に手が届かないので、花姫は羽月の傍に寄り、ふわりと抱き締めた。


「───っ、私はっ……!私は家族を不幸にした!私が幸せを望んだら、今まで不幸になっちゃった人に、顔向け出来ない……っ。でもっ……でもっ…!」


ぎゅっ、と花姫に縋り付き、言葉を詰まらせる羽月。優しく背中をさする花姫は、ゆっくり言葉をかける。


「ゆっくりで大丈夫。羽月が言いたい事を言えば」


それが彼女の優しさであると同時に、本人が感じているもどかしさでもあった。
自分は羽月に、何も言ってあげられない。
話を聞くことと、相槌を打つことしか。


「私の、言いたい事……」


「えぇ」


桃音を見て、羽月が感じた1番の恐怖。




「────取られたく、無い……っ」




震える声で、しかししっかりと告げられた言葉。
桃音は怖い。羽月に対して、明確な敵意を向けている。自分じゃ、その彼女には適わないかもしれない。

でも。


「私だって…やっと手に入れた居場所なの……っ。だから、取られたく無い……!」


1人で塞ぎ込んでいた自分を、外の世界に連れ出してくれた深夜。
自分も少しは、彼の苦しみを和らげることが出来たのではないかと信じている。

今となってはなくてはならない『大切な居場所』。

だから、例え勝ち目がなくても、抗わなければいけない。
ここでまた身を引けば、以前の自分に戻ってしまう。そんな気がするから。


「ちゃんとわかってるじゃありませんの。自分のしたい事」


羽月の言葉を聞き、花姫は安堵に息を着く。
どうやら彼女は、自分が思っているほど弱い女の子では無いようだ。

羽月は静かに花姫から離れると、涙を拭いながら目を細めた。


「ありがとう。花のおかげで、自分の気持ち…わかったよ」


ふっと口元を緩めた羽月だったが、すぐにまた不安そうな顔に戻り、視線を落とした。


「でも…どうすればいいんだろう……」


確かにそうだと、花姫も顎に手を当て思考する。
こんな状況には、普通なかなかならない。

答えの見えないもどかしさに、2人が頭を抱えた時だった。


コンコン────。


控えめなノック音に、花姫がドアに向かって「どうぞ」と声を掛ける。


「邪魔してごめんなさい。羽月ちゃん、診察の時間よ」


部屋に入ってきたのは幽見だった。
『診察の時間』という言葉に、思わず時計を振り返る羽月。
いつの間こんなに時間が経っていたのか、想像以上に話し込んでしまっていたようだ。


「あっ……分かりました……っ!」


そんな羽月を見つめながら、花姫は思想に耽ける。
実の所、花姫も不安を抱えていた。
羽月は他の子供とは違う。何が地雷になるかわかないし、傷をつけてしまえば、その傷は永遠に消えることの無い深いものになってしまうかもしれない。
特別扱いしないと言ったものの、完全に同じ扱いとはいかないのを、花姫はよく知っている。
だからこそ、今回羽月に本音を吐かせたことも、少し出過ぎた真似だったかと、今更ながら後悔していたのだ。

しかし、そんなものはただの杞憂で。


慌てて支度をし、ドアのところで羽月は振り返る。

とても、とても嬉しそうに。


「ありがとう、花」


たったそれだけの言葉で、自分のしたことは間違っていなかったのだと、花姫は安心することが出来た。

彼女は自分の不安に気付いていたのだろうか。
羽月は変なところで気が回るから否めないな、と呆れたように息を着く。その口元に、笑みを浮かべながら。


「いってらっしゃい、羽月」


小さく手を振り、友の出発を見送る。
ただの診察だというのに、花姫が感じたのは、不安。
運命の歯車が動き出す──否、動いたような、得体の知れないもの。

しかし花姫は、その気持ちに蓋をした。
これ以上自分の友を──親友を、不安にさせたくないから。


風になびいた白髪が消えると、花姫は思わず俯く。
先程感じた不安が、じわじわと花姫を蝕んでいくようだった。


「花姫ちゃん。手、出して」


不意に響いた声に、花姫は弾かれたように顔を上げた。
羽月と一緒に出ていったと思っていた幽見の登場に、花姫は瞬く。

しかし言われたことを思い出すと、おずおずと右手を差し出した。

コロンと乗せられたのは、小さな飴玉だった。
自分の名につく、鮮やかなオレンジ色。


「これは───」


意図がわからず問い掛けると、幽見は花姫の頭を優しく撫でた。


「羽月ちゃんを、お願いね」


悲しみの混ざったニュアンスに、ちいさく息を飲む。

この人は、自分と同じだ。
彼女達に何もしてあげられない、無力な存在。
そして、その事実を誰よりもよくわかっている。


「はい────勿論ですわ」


同じ状況なのは、自分1人じゃない。
苦しんでいるのは、自分1人じゃない。


なら、今自分に出来ることは────。




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