クレオ*̣̩エシス

ιστορία*.2─前編─




あの日から、1週間程経った頃の事だった。


「いやー、やっぱりこういう晴れた日は、屋上に出ると気持ちいいな」


昼食を食べ終えた昼下がり。
サンサンと降り注ぐ日差しに照らされる中、いつもより強めな風を全身に受けて、深夜は声を上げた。

不二導川病院は4階+地下1階の5階建てである。
東棟、南棟、西棟がL字型に並び、主な施設はそこに揃っている。そして深夜達モリンシ患者が生活しているのが東棟の隣、コの字型になるよう後から建てられた特別病棟───通称S棟。S棟は4階が屋上となっていて、自由に出入りすることが可能だった。


「そうだね。今日は風も気持ちいいしね」


隣で頷いた羽月は、1週間でだいぶ深夜に慣れたのか、少しずつ深夜に、そして幽見に歩み寄ろうとしている様が見受けられた。


「あっ。俺、そろそろ診察かも」


ふと時計を確認した深夜は、「帰るか」と、目線で言った。


「そう、だね」


不自然に途切れた言葉に違和感を感じつつも、深夜は羽月と並んで階段を降りた。
深夜と羽月が並んで歩くのは、最早この1週間で当たり前になりつつあった。
お互い、過去には触れなかったが、それでもこの位置に心地良さを感じていたのだ。

だからだろうか。


「───診察なんて、必要ないのに」


羽月がつい、口を滑らせてしまったのは。


「────え」


丁度S105号室のドアの取手に手をかけていた深夜は、驚いて羽月を振り返った。


「どういうことだよ。それじゃまるで……お前が、死にたがってるみたいじゃん」


ガラガラとドアを開けながら、未だ言葉の意味を理解できない、否、したくない深夜は、わざと笑う。


「───そうだよ」


しかし、羽月の答えは冷たかった。
まるで、1週間前のような。


「私は、早く死ななきゃいけないの」


積み上げてきた信頼が、音を立てて崩れ落ちるような感覚。

目を伏せ、部屋に入ろうとした羽月の胸ぐらを、深夜は思いっきり掴んだ。

いきなりのことに、流石の羽月も目を見開き、硬直した。


「死にたいなんて、軽々しく言ってんじゃねぇ!」


その言葉に、羽月の中の何かが、カッと熱くなるのを感じた。
羽月はキッと目を釣り上げると、同じぐらい怖い形相の深夜を睨みつけた。


「軽々しくなんてない!」


「軽いさ!大体辛いことがあったヤツはそういうんだ!」


「なっ───!深夜にはわからないよ!」


「っ───!お前は知らないだろうけどな…!この世界にはっ、死にたくなかったのに、死ぬしかなかった人だっているんだよ……!!」


悲痛な叫び。
今の言葉を形容するなら、この表現が最適だろう。


「“死ぬしかなかった”……?」


深夜が口にした言葉に、羽月は眉を寄せる。

一方深夜は、やってしまったと言わんばかりに、後悔に唇を噛んだ。


「2人共どうしたの!廊下の端まで声が響いてたわよ!?」


そこに現れたのは、声を聞いて急いで駆けつけたのか、少し息の切れた幽見だった。

幽見の疑問に、気まずそうに目を逸らした2人を見て何を感じたのか、あえてそこには触れず、言葉を続けた。


「そういえば深夜くん。診察の時間なんだけど…」


深夜がパッと幽見に目を向けたと同時に、羽月が2人の間を駆けて行った。

あっ、と伸ばした深夜の手は虚しく空を切り、羽月の姿は消えていった。


「もう……仲良くしてると思ってたのに、一体どうしたのよ」


困ったように尋ねた幽見に、どう言えばいいのか躊躇った深夜は、咄嗟に答えることが出来なかった。


「まぁ、いいわ。終わったらちゃんと話し合いなさいよ。友達でしょ」


「友、達……」


深夜は先程の羽月の表情を思い出して、苦しそうに、眉を寄せた。




‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦



つい、喧嘩になってしまった。


勢いに任せて飛び出してしまった羽月。

トボトボと行く宛てもなく、歩き着いた先は屋上。
これではさっきに逆戻りだ。潔く戻ろうと階段を下りるが、心とは裏腹に足は2階で止まってしまった。仕方なく2階の廊下を歩いていると、病室のドアが開いているのに気がついた。余程急いでいたのか、付けっぱなしになっているテレビの声が廊下まで聞こえていた。他の人の迷惑になるかもしれないとドアを閉めようと近付いた瞬間。





『それでは、次のニュースです。先日亡くなった小説家の紅壮亮の妻、“紅美穂”さんですが、自殺の原因は、夫からのDV──ドメスティック・バイオレンスだったことが、捜査関係者からの取材で分かりました』




────え、


信じられない名前が聞こえたのだ。

驚いて、思わず病室に足を踏み入れる。
音源であるテレビの画面には、どこかのマンションと、恐らく“紅美穂さん”の顔写真が映し出されていた。


「紅……?」


まさか、と無意識に零れた言葉は、続かなかった。

何故なら。


『捜査関係者によりますと、美穂さんに暴行を加えていたのは、夫の紅壮亮容疑者。壮亮容疑者は黙秘していますが、息子の深夜さんの顔に、刃物で切られた跡があったため────』


羽月の呼吸が詰まる。

聞き間違いようがなく、はっきりと述べられた名前。


「じゃあ、あれは…深夜の家族…」


先程の深夜の言葉が頭に響く。

『この世界にはっ、死にたくなかったのに、死ぬしかなかった人だっているんだよ……!!』

あの言葉を口にした時の深夜の顔は、今にも泣きそうに歪められていて。

そして、1番初めの言葉。
紅美穂の死因は、自殺だと言っていた。
その原因が、夫からのDVとも。

つまり。


「深夜の、お母さんだったんだ」


震える唇が、必死に言葉を紡ぐ。


深夜がテレビが嫌い、と言ったのも、羽月にこの事実を知られたくなかったからと言われれば、納得出来る。

顔の傷も、普段は髪に隠れていたが、よく思い出せばあったかもしれない。

今更知った事実に、羽月は血の気が引いた。
確かに、死ななきゃいけないという言葉に偽りはないし、軽々しく発したつもりもなかった。
しかし、深夜から見たらどうだろうか。
母親を夫からのDVで亡くし、自分もモリンシにかかり、死がいつ訪れるか分からない。
そんな中、わざわざ死にたがっている奴がいたとしたら。

あんなに怒るのも、当たり前だろう。


羽月はドアを閉めるのも忘れ走り出す。

今の羽月は、感情が他の人よりも乏しい。
だから、人の細かい感情の揺れを理解することは難しかった。

しかし、これだけは分かる。


「私……っ、深夜を傷つけちゃったんだ…」




‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦




「やっちまったな……」


診察を上の空で終えた深夜は、重い足取りに気付かないふりをして、ため息をついた。

走り去って行った羽月の顔が、頭から離れない。

表現するのは難しい、怒っているとも、泣いているとも取れる表情。

あの場面では、羽月が死にたいと言った事に、ついカッとなってしまったが、よくよく思い出してみれば、彼女の発した言葉は少し違っていた。


「死にたいじゃなくて、死ななきゃいけないって言ったよな……」


そう。もしかしたら、彼女は死を望んではいないのかもしれない。
そう思うと、深夜の心はズンッと重くなった。


「謝らないと、な」


そう呟くものの、ここで謝ったら自分の意見を間違いだと認めたようで、素直に謝罪する気にはなれなかった。何よりそれは、死んでしまった母に対して申し訳ないような気がして。
深夜は再度ため息をついた。


「ねぇ、あんた知ってる?ここに入院してる白髪の……」


「あぁ!知ってるわよ。あの綺麗な顔した女の子でしょ?」


深夜の正面から近付いてくる話し声。
その中の“白髪の少女”というワードが、深夜を立ち止まらせた。


───羽月のこと、だよな……。


聞き耳を立てるように、深夜はわざと歩くスピードを落とす。目の前からは2人の看護師が歩いてきた。


「その子がどうかしたの?」


「さっきすごい勢いで走っていったのよ」


「まぁ、あの子も大変よねぇ。お母さんも倒れて、今はお姉さんが寝る間も押しんで働いてるんでしょ?」


────は、


母親が、倒れた。

初耳だった。確かにお互い過去には振れないようにしていたが、そんな事実は知らない。


「でもほら、1回あったじゃない。そのお姉ちゃんが…」


「あぁ。キレて妹ちゃんに手をあげたやつでしょ?私あの場にいたのよ!」


「そうだったの!?大変だったわねぇ」


どんどん暴かれていく羽月の過去に、深夜はこれ以上聞いていられなくなって、走り出した。

羽月が教えたがらなかったことを、他の人から聞いてしまっていいのか。
その少しの罪悪感から、深夜は顔を歪めた。

『姉が手をあげた』

羽月のあの印象的な紅髪が脳裏に浮かぶ。
もしかして、あの紅は、血に染めたようなではなく、本当に───。


「──あぁぁくそっ…!」


どうして自分はこうも察しが良いのだろうか。

普段は良い方向に働いているこのよく回る脳みそも、今は憎らしかった。


「深夜くん!」


考え込んでいた意識が浮上する。
いつの間に着いていたのか、目の前にはS105号室の看板があった。

そして、先程の声の主は。


「羽月ちゃん見なかった?」


今日は焦っていることの多い幽見だった。
最も、その原因の大部分は自分たちなのだが。


「いえ…。羽月、戻ってないんですか」


瞳を鋭くして聞いた深夜に、幽見は困ったように頷いた。


「えぇ。病室にもいないし…心配で」


それから急いだように時計を確認した幽見に、深夜は察した。

幽見の手には、沢山の書類が抱えられ、尚且つ時間を気にしている。と、なると。


「幽見さんは、お仕事に専念してください。俺が羽月を探してきます。いる場所に検討は着くので、安心してください」


これ以上、幽見に心配をかける訳にはいかない。
深夜は軽く頷いた。


「そう……ごめんね。夕食の時に様子は見に来るから」


「大丈夫です。……俺たちの、問題なので」


先程の喧嘩が原因なのはわかっているので、深夜は幽見に会釈をしてから、歩き出す。

モリンシ患者がうろつける場所は限られている。この病院のS棟は屋上を含めた4階建て。中庭は吹き抜けになっていて天井である屋上のガラス板を踏んで遊ぶ子供もいる。1階から繋がる通路の先は小さなホール。たまにイベントをやっていたりするそうだ。
しかし、人の視線を嫌がる羽月がホールにいるとは思えない。
とりあえず手近な中庭を確認する。桜の木の周りをぐるりと一周してみるが、羽月の姿は無い。
仕方なく屋上へ向かってみる。先程と違い人は何人かいるが、羽月はいない。ここにもいないとなると、推理が外れてホールにいる可能性もあるな、と考えながらガラス板を踏むと。


「あっ…!」


丁度中庭へ入ってきた羽月の姿を見つけた。
急いで階段を下りると、中庭へのガラスドアを開けた。羽月は初めて会った時のように、木下に膝を抱えて座っている。困ったことがあったら、ここに来るのが彼女のセオリーなのかもしれない。


「幽見さんが心配してたぞ」


診察帰りの時は、なんて声をかけようか悩んでいたことが嘘のように、自然に話しかけることが出来た。


「っ───深夜……」


俯いた顔を上げた羽月の声は少し掠れていた。

つい先程のニュースを思い出し、顔の傷を確認してしまい、羽月は傷ついたように顔を歪めた。


「どうした…っ。どこか具合でも悪いのか?」


その様子に、慌てたように駆け寄った深夜の髪を手で避けると、左頬に刃物で切られたような傷があった。

やっぱり、と羽月は息だけで呟く。

深夜は、傷を見られたことを認識すると、慌てて羽月の手を払った。


「ごめんなさい。私…ニュース、見て」


目を伏せて、言葉をつまらせながら謝る羽月に、深夜は今まで必死に隠していた事実が暴かれてしまったと察する。

それならば、こちらも白状するのが筋だと思い、深夜も口を開いた。


「実は俺も、看護師さんの話聞いちゃって……」


小さく羽月は息を飲み、自分の髪に触れた。


一体、どこまで知られてしまったのだろうか。

しかしそれでも、真実を知ってしまったのが自分だけでなかった事に、少しの安心感を覚えた羽月は、スッと覚悟を決めるように、息を吸った。


「深夜……その、隠しててごめん。私の過去……聞いて、くれる……?」


その言葉は震えていて、覚悟を決めたと言え、やはり羽月の中に植え付けられてしまった他人への恐怖は、なかなか抜けるものではなかった。

そんな思いを察してか、深夜は羽月の頭を優しく撫でた。


「あぁ、勿論。……それと、俺の話も聞いてくれるか」


八の字に曲げられた眉毛は、普段の深夜からは想像もつかないくらいその表情を弱々しく見せた。


「うん。分かった」


お互いの覚悟が決まり、真っ直ぐな視線がぶつかった。


「────病室、戻るか」


控えめな言葉に、羽月は小さく頷く。
何か言葉を発してしまえば、この決意が揺らいでしまいそうで、怖かった。

それは恐らく、深夜も同じで。

それでも自分を受け入れてくれた深夜には、話しておかなくちゃいけない。

暖かい風に背を押されながら、2人は病室へと向かった。




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