クレオ*̣̩エシス
ιστορία*.2─後編─
カチッ、カチッ、と時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。
羽月のベッドに横並びで腰掛けた2人は、どちらも口を紡ぎ、話し出すタイミングを失っていた。
覚悟を決めたはいいものの、いざ話し出そうとすると、どうしても言葉が出てこない。
「………その…俺、先に話そうか……?」
先に沈黙を破ったのは深夜だった。
恐る恐ると言った様子で、羽月の顔を伺う。
すると羽月は首を振った。
「気を使わせちゃってごめん。大丈夫、私から話すよ」
スッと顔を上げた羽月は、鋭く正面を睨みつけていた。
まるで、敵と戦うような。
いや、“ような”では無い。羽月は自分の過去と戦っているのだ。
「──私は、産まれた時からこの白髪だった」
羽月は、悲しそうに、或いは忌まわしそうに、自分の白髪を掴んだ。
「私のお父さんの方の家が、古いしきたりがある家だったみたいで、お父さんとお母さんは、愛し合っていたのに、離婚しなくちゃいけなかったらしい。私のこの髪は、家にふさわしくないからって。───それを知らされたのが、私が5歳の時だった」
淡々と話しているように見える。
しかし、それはあくまで表面上の話だ。
羽月の内面まで理解するには、共にいる時間が少なすぎた。
「小学校に入学して、初めは皆、私の髪を不思議がって、興味本位でいじってくるだけだった。これが普通の反応なんだって、思ってた。………でも、徐々に、皆の目が、興味から蔑みに変わって…。気持ち悪い、気味悪いって、言われるようになった。それも、当たり前なんだって、そう、思ってた。…その時はお母さんも、女手一つで私たちを育ててくれていたし、お姉ちゃんも学校が忙しかったから、心配かけちゃいけないと思って、黙ってたの」
上げていた顔が、少しずつ下がっていく。
それでも深夜は、静かに話を聞き続けた。
「でも、3年生になってから───クラス替えがあってから、かな。同じクラスになった子で、私を気にかけてくれる男の子がいたの。でも、その子は他の子にも優しかったから、クラスで人気で……。そのうち女子から、いじめられるように…なった」
決定的な言葉に、深夜は息を飲む。
「はじめは避けられたりとか、無視されたりとか……それは今までもあったから、特に気にしてなかったの。……でも、どんどんヒートアップしていって、わざとぶつかってきて、給食こぼしたりとか、水かけられたりとか…。でも、それも私の見た目のせいだから…悪いのは私だからって、無理に納得して……っ。そうしなきゃ、私……」
涙をこらえているのか、少しづつ嗚咽が混ざっていく。
「それで、ある日」
そこで、羽月は顔を上げ、深夜の目を真っ直ぐ捉えた。
瞳は湿っていて、今にも泣き出しそうなのを、ぐっと堪えていた。
「私は────階段から、突き落とされた」
あまりにもストレートすぎる言葉。
「は────」
今まで黙って聞いていた深夜も、これには驚きの声を上げた。
「どの段から……!」
「1番上。何人かいたから、誰が突き落としたかは、最後まで分からなかったけど……。足は打撲、左腕は骨折。まだ小学校の階段だったからこのくらいですんだ。…ここの階段よりは低いから」
重症なはずなのに、薄く笑みまで浮かべた羽月に、つい口を開きそうになった深夜だったが、それでは昼間と同じになってしまうと、口を閉ざした。
「それで、病院に運ばれた。お母さんとお姉ちゃんも、急いで駆けつけてくれて……でも私、『誰にやられたの』って聞かれても、分からないから、答え、られなくて……。そうしたら、お母さんが言ったの」
『羽月。あなたを産んでしまって、ごめんね』って。
その言葉は、深夜に深く突き刺さった。
母親に自分の生を否定される。
それがどれだけ辛いかを、彼もわかっているから。
「倒れた原因は、過労からくる、栄養不足と睡眠不足、だったみたい。意識が戻るかどうかは…分からないって」
暫く羽月は唇を引き結ぶ。
そうしていないと、言葉にならない気持ちが口を出そうで。
「そしたら私……どうして自分が生きてるのか…分からなくなっちゃって……っ」
握られた拳は、血が滲みそうなほど強く握られ、震えていた。
「そんな時にね、看護師さん───幽見さんから、『モリンシに感染してることがわかった』って、報告された。…その時、私、笑ってたの」
ふっ、と。
嘲るように、羽月は笑った。
「自分でもびっくりした。……でもね、なんで笑ってるのか、分かっちゃったの。これでもう、苦しまないで済むんだ。やっと解放されるんだって」
鋭く息を吸う音が響く。
それは、後悔と怒りと、嫌悪を纏っていた。
「サイテーだよね。散々家族をぐしゃぐしゃにしたのに、1番最初に逃げてくの……っ」
ギリッと聞こえた音は、羽月が歯ぎしりした音だった。
「だから、はやく死にたかった。そうしたら、お姉ちゃんもお母さんも、解放されるって。それで、お姉ちゃんに、言いに行ったの。私は1人で死ぬから、もうお金、払わなくていいよ、って……」
羽月はゆるゆると首を振る。
当時の自分の愚かさを呪って。
「今考えたら、そんな事出来るわけないよね。でも、当時はどんなことをしてでも、はやく、はやく死ななきゃ……って。そればっかり考えて。だから、お姉ちゃんを、すごく怒らせた。『あんたが産まれてから、私は不幸になった』って───」
聞き覚えのある言葉に、深夜は無意識に息を吸う。
『私と一緒にいると、貴方が不幸になる』
初めてあった日に、羽月が言ったことだった。
この言葉は、彼女自身が言われた言葉だったのだ。
「それで、お姉ちゃんに、殴られた。もしかして、聞いたかもしれないけど、この赤い髪は、その時の血の色なの。なかなか落ちなくて……。頑張れば、落とせたんだけど──なんだか、それじゃあ、私の罪も、落ちちゃいそうで」
当たってしまった予想に、深夜は目を伏せた。
「それがきっかけで…。ううん、もっと前かもしれないけど、私、生きる意味が分からなくなっちゃって…。もう、人と関わらないようにしようって、心に決めた。感情も無くして、表情もなくして……。『無』でいれば、誰からも相手にされないだろうって……そしたら、誰も傷つけずに済むって。───だから、最初、深夜に冷たい事言って、突き放そうとした…」
ごめんなさい。
そう言った羽月は、酷く弱々しくて。
「これが…っ、私の過去」
何故彼女は、泣くのを我慢しているのだろうか。
「───羽月。手、出せ」
「───…?」
そんなの──────っ
我慢する必要、ないのに───
「えっ───」
深夜は、差し出された羽月の手を取り、自分の方へ引き寄せた。
羽月の頭が、ポスッと深夜の胸に収まる。
「───っ…!?」
驚いて声も出せないのか、無言で困惑する羽月の髪を、優しく、優しく撫でる。
羽月にかけられた悪い言葉の数々を、落とすように。
「────頑張ったんだな」
その一言で。
羽月の心に絡まった鎖が、音を立てて、壊れた。
「1人で悩んで、1人で苦しんで。そうやってお前は、誰にも頼れずに、戦い続けてたんだな」
羽月の唇が震える。
しかし彼女は、しっかりと口を引き結ぶ。
「いつも深夜は…っ、私の1番欲しい言葉を、くれるね……っ」
「───泣いて、いいんだよ」
もう涙は零れそうなほど溜まっているのに。
優しく声をかけたが、羽月は首を振ると、涙を拭った。
「…まだ、泣かないよ。だって、深夜の話、まだ聞いてないから」
──泣かなかった原因は、俺か。
羽月の心遣いに、心が締め付けられたように、苦しくなる。
自分だって、辛いはずなのに。
深夜と苦しさを共有するまでは、自分も泣かないと言っているのだ。
「そう、か。…ありがとな」
最後に1度だけ、ゆっくり撫でると、羽月は体を離した。
「じゃあ、聞いてくれ。俺の過去も」
羽月は座り直すと、凛とした瞳で、頷いた。
「俺の家は、3人暮らしだった」
そんな、なんでもないような事から始まった話。
「普通の会社に勤めてた母と、小説家の父。───アイツのこと、父なんて言いたくないけどな」
そう言った深夜は、今まで羽月が見た事もないくらい、冷たい眼差しで宙を射抜いていた。
「普通の家族だったんだ。仲は良かったし、アイツの仕事は決して調子が良かった訳ではなかったけど、それでも、家族で支え合って、暮らしてた。……けど、俺が5年生になったぐらいかな。アイツの小説が、急に売れるようになって。初めは俺達も一緒に喜んでたし、アイツも普通だった。でも、だんだんアイツは、周りからのプレッシャーに負けて、ストレスから、酒と煙草に溺れるようになった」
羽月の眉が、傷ついたように歪められる。
家族が壊れる絶望に、その感覚に、覚えがあったから。
「元々酒癖が悪かったアイツは、母さんや俺に、暴力を振るうようになった。初めはしばらくすると勝手に落ち着いてたんだけど、段々そうはいかなくなって。見えるとこに毎日傷が出来るから、学校でも、周りの奴らはどんどん離れていったよ。───ま、1人だけいたんだけどな。しぶとく俺を心配してくれた幼馴染みが。……けど俺は、そいつの好意も無駄にした。今にして思えば、何も出来ない非力な自分に、苛立ってたのかもな」
嘲るように小さく笑った深夜は、澪には悪いことしちゃったな、と呟いた。
「それが、1年くらい続いた。そんなある日だった。母さんが、どうしても仕事で遅くなるらしくて、俺の事心配してたんだ。俺は、『今日も図書館で時間潰すから、大丈夫だ』って言った。でも、俺はその日、図書館へは行かなかった」
羽月は不思議そうに首を傾げた。
家にいても暴力を振るわれるだけなのに、何故帰ったのか。
「そんとき、変な覚悟が出来ちゃったんだ」
首を傾げた羽月を見て、深夜は悲しそうに微笑む。
「もう、逃げるのはやめよう。俺が母さんを守るんだ…ってな。でも、結果として、俺は母さんを騙したんだ。もしかしたら、アイツがまだ、優しかった頃の父さんに戻るかもって、期待してたのかもな」
「そんな………」
騙したと言うには、あまりにも悲しい事実。
「それで、帰った俺は、アイツに言ってやったんだ。『お前のやっていることは犯罪だ。今すぐ母さんを解放しろ』ってな…っ」
深夜は眉を寄せる。
「そんな事、狂ってるアイツが、聞くわけ無いのにな。………怒ったアイツは、その辺にあった……カッターで───」
深夜の手が、震える。
その時の衝撃が、痛みが思い出されて、深夜は言葉に詰まった。
「────っ」
キュっと、羽月は深夜の手を握る。
優しく、包むように。
それだけで、深夜の震えは幾分か止まった。
「ありがとう」
深く息を吐いた深夜は、目線を上げた。
「カッターで、俺を傷つけ始めた。さっきお前が見たのも、その時の傷だ。あとは……ココと、ココ」
左頬、右目の上、そして左の鎖骨の辺り。
刃物の切り傷が、痛々しく残っていた。
「この3箇所で済んだのは、母さんが、予定よりもはやく帰ってきたからだ。……必死になって、止めてくれたんだ。その日は俺、痛くて怖くて…自分が不甲斐なくて、眠れなかったよ。守るとか言って、結局守ってもらったからな」
そこで深夜は言葉を切る。
次に出た言葉は、穏やかなのに、悲鳴のようで。
「その、次の日だった。母さんが、自殺したのは」
羽月が息を飲む。
目を見開き、瞳を涙で潤ませた。
「朝、まだアイツは寝てる時間帯。俺も、眠れなかったから、ちょっと早く起きようと思って。……母さんにとっては、予想外だったんだろうけど。っ…ベランダの柵に、体預けるように立ってて───
『苦しめてごめんね。子供は親を選べないから…。でもこれで、大丈夫だからね』
───これが母さんの、最後の言葉だった」
深夜の喉が詰まる。
湧き上がる感情を、必死に飲み込む。
羽月は俯いていて表情は分からないが、深夜の手を握る手に力が込められた。
「そのまま、空を仰ぐようにして、落ちていったよ。俺の住んでたマンションは3階だったから、多分、即死だったと思う。下に人がいたのか、俺の叫びが酷かったのか、警察はすぐ来たよ。そこで、俺達は連れていかれて、今までのことを洗いざらい話した。───母さんは分かってたんだよ。自分が騒ぎを起こせば、アイツの罪は浮き彫りになるって。まぁ、アイツはまだ…黙秘を続けてるらしいけどな」
伏せられた目に浮かぶのは、悲しみか、憎しみか。
「それで、医者が俺の髪見てさ。こんな酷い栄養失調なら、モリンシ感染の恐れがあるって言って……。案の定、感染してた。丁度その日なんだよ、羽月と初めて会ったの。───同じ日なんだ、母さんが死んだ日と」
「同じ、日………っ」
羽月はあの日を思い出す。
自分が、酷いことを言ってしまった日だ。
あの日に深夜は、自分の母親を亡くしていたのだ。
一体、どんな気持ちだったのだろう。
「深夜……っ、私……!」
「別に、謝ることねぇよ。お前だって、色々大変だったワケだし」
優しく微笑むと、深夜は目を逸らした。
それと同時に、笑みが消える。
「俺、時々夜に喋ってるだろ。あれ、アイツから受けた暴力を、体が覚えちまってて───。っ最悪だよな、夢ん中でまで、アイツに痛めつけられてんだ」
フッと笑った。
そう、笑ったのだ。
どうやら彼は、辛いことがあると、笑って隠すらしい。
「これが、俺の過去。────って」
顔を上げた深夜の目に映ったのは、自分の時よりも目に涙をうかべ、堪えきれず頬を濡らしている羽月の姿だった。
「なんでお前がそんなに泣いてんだよ…」
「だって……っ!深夜は…深夜は何も悪くないのに……!そんな酷いこと…。おかしいよ……っ…そんな、そんな事……!」
とめどなく流れる涙が、沈みかけている太陽の光に反射して、キラキラと輝く。
その様子を見ていた深夜も、徐々に涙が込み上げてきて。
「っ───そんなこと言ったら、お前だって…何も悪くねぇじゃん……っ。見た目なんて、自分じゃどうにも出来ないし…っ…羽月の方が、よっぽど……」
歯を食いしばり、必死に声を上げないように堪える。
もはや羽月の方は、涙を堪えることすらしなかった。
「俺達、頑張ったよな……。誰にも頼れずに、1人で抱え込んで……っ。必死に、生きて……」
「───うん…っ、うん……!そうだよ…頑張ったよ……!」
何度も頷く羽月に、深夜は尋ねる。
「ホントのこと、言っていいか」
「なに……?」
ふと視線を逸らして、怯えるような深夜に、羽月は優しく答える。
「俺……羽月に過去知られたら、他の奴らみたいに、離れてっちゃうんじゃないかって、怖かったんだ」
思わぬ言葉に、羽月は瞬く。
「羽月が色々抱えてんだろうなってのは、何となくわかってたし、これ以上、不安にさせたくないなって。だから、隠してた。……ごめん」
「謝る必要ないよ。私のこと、考えてくれてたんでしょ」
ふわっと、羽月が笑う。
その笑みは、自然に浮かんだものなのだろう。
───羽月……こんな風に笑えたんだな……。
その笑みを見られたことが、深夜は嬉しかった。
叶うならば──────ずっと近くで。
「これからは、さ。2人で半分こしよう。嬉しいことも、辛いことも。───私、今までどうやって1人でいたか、わかんなくなっちゃった」
「俺もだ。2人で支え合ってこう。お互いの過去を知った俺たちなら、出来るよ」
そう言い、深夜と羽月は、お互いの涙を拭いながら、笑いあった。
その笑いは、あのぎこちない笑みでもなく、本心を隠すための笑みでもなく。
2人の心の底から浮かんだ、暖かな笑みだった。
‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦‧✧̣̥̇‧✦
「顔の傷…まだ痛むの……?」
涙が収まった頃、ふと浮かんだ疑問に、羽月は控えめに尋ねた。
「え?───あぁ…だいぶ良くなったんだけど…。まだ少し痛む、かな」
そっと頬の傷に触れると、思い出したように羽月を見た。
「羽月こそ、骨折したんだろ?後遺症とか、大丈夫なのか?」
焦ったように尋ねた深夜。
自分の知らないところで、羽月は苦しんでいたのではないかと、今更ながら不安になる。
「後遺症は、ほとんどないよ。もう2年も前のことだしね。でも、未だにその時の癖が抜けなくて」
運動機能には、全然問題ないよ。と、深夜を安心させるように、微笑んだ。
「───実は…。私も昔、顔に傷……あったんだよね」
唐突に呟かれた言葉に、深夜は意表を付かれ、え、と声を上げる。
「私の所為で離婚したって話された時、何もかもが怖くなっちゃって。ハサミでむやみやたらに髪を切ったの。まだハサミ使うの下手くそだったから、顔が切り傷だらけになっちゃって……。それで余計に家族を傷つけた」
「──それ…っ、跡は……」
「もう殆ど残ってないと思う」
よかった。と、深夜は胸を撫で下ろす。
その様子を不思議に思った羽月、首を傾げた。
「だって、羽月綺麗な顔してるから……。傷残ったら勿体ないなって」
「それ言ったら深夜だって───」
「俺は男だからいいんだよ」
羽月、少し不満そうに頬を膨らませる。
その様子がおかしかったのか、深夜は明るく笑い出す。不満げにしていた羽月も、深夜につられ笑いだした。
「ねぇ、深夜」
口元に笑みを浮かべたまま、羽月が口を開く。
「私さ、深夜に救ってもらってばっかだから」
──そんなことないのに。
深夜はその言葉を、口の中で留まらせる。
正直、その後に羽月が何を言うのか気になったからである。
「今日の夜、試したいことがあるの」
その言葉の意味を瞬時に理解出来ず、深夜は数回瞬いたのだった。